ステラーカイギュウ

絶滅動物

ステラーカイギュウは、かつて北太平洋のベーリング海にすんでいた、体長9mにもなる巨大な海の哺乳類です。ジュゴンやマナティーの仲間で、海藻を食べておだやかに暮らしていました。1741年に博物学者ゲオルク・シュテラーが発見しましたが、それからわずか27年、1768年に狩りつくされて絶滅しました。人間が「発見」してから、もっとも短い間に滅ぼしてしまった大型動物の一つとして、その名が記憶されています。

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分類と学名

分類階層

  • 界:動物界 Animalia
  • 門:脊索動物門 Chordata
  • 綱:哺乳綱 Mammalia
  • 目:カイギュウ目(海牛目)Sirenia
  • 科:ジュゴン科 Dugongidae
  • 属:ヒドロダマリス属 Hydrodamalis
  • 種:ステラーカイギュウ Hydrodamalis gigas

和名・英名

  • 和名:ステラーカイギュウ(別名:ステラーダイカイギュウ)
  • 英名:Steller’s sea cow(ステラーズ・シーカウ)

名前の由来

「ステラー」は、この動物を発見して記録した、ドイツ人博物学者ゲオルク・シュテラーの名前です。英語でも「シュテラーのカイギュウ(Steller’s sea cow)」と呼ばれます。なお「ステラーダイカイギュウ(大海牛)」という呼び名も見かけますが、これは同じ動物のことで、その大きさを強調した呼び方です。ジュゴンやマナティーと同じカイギュウ目の仲間で、いまはいないヒドロダマリス属に分類されます。

大きさ・分布などの基本データ

大きさ体長 最大約9m・体重 約8〜10トン(カイギュウ目で最大)
分布北太平洋・ベーリング海のコマンドル諸島(発見時)※絶滅
生息環境海藻(ケルプ)の茂る、冷たい浅い海
食べ物コンブなどの大型の海藻(草食)
絶滅した時期1768年(発見からわずか27年)
絶滅の原因肉・脂・皮をねらった乱獲

ジュゴンの仲間で、けた違いに大きい

ステラーカイギュウの実物大模型
実物大の復元模型。小さな頭と、丸くて巨大な体が特徴(KKPCW, CC BY-SA 4.0, via Wikimedia Commons

体長9m、体重は10トン近く

ステラーカイギュウは、体長が最大で9mほど、体重は8〜10トンにもなりました。いまも生きているジュゴンが体長3mほどですから、その3倍もの大きさです。カイギュウ目の中でいちばん大きく、クジラをのぞけば、海にすむ哺乳類としては最大級でした。体は丸くて太く、頭は体のわりに小さく、尾はクジラのように左右に広がる形をしていました。冷たい海で体温を守るため、皮膚の下には分厚い脂肪がついていました。

「樹皮の動物」と呼ばれた皮ふ

ステラーカイギュウの皮ふは、厚さ2.5cmほどもある、とてもかたいものでした。表面はごつごつして、まるで木の樹皮のようだったことから、「樹皮の動物」とあだ名されたほどです。このかたい皮ふは、岩や流氷から体を守るのに役立ちました。口には歯がなく、かわりに口の中の二枚のかたい板と、くちびるの白いひげのような毛で海藻をすりつぶして食べたのです。

体が浮きすぎて、もぐれない

この動物には、大きな弱点がありました。体が軽く浮くようにできていたため、水の中に完全にもぐることができなかったのです。いつも背中を水面から出したまま、浅い海にただよって海藻を食べていました。動きもとてもゆっくりで、すばやく逃げることはできません。天敵の少ない海では困らない体でしたが、この「もぐれない・逃げられない」性質が、のちに人間に狙われたとき致命的な弱点になりました。

海藻を食べる、おだやかな暮らし

海藻を食べるステラーカイギュウの復元画
1893年の本にえがかれた復元画。浅い海で背中を出しながら海藻を食べる(H. N. Hutchinson (1893), Public domain, via Wikimedia Commons

コンブの森で暮らす草食動物

ステラーカイギュウは、冷たい海の岸ぞいに広がる「ケルプ(コンブなどの大型の海藻)の森」で暮らしていました。一日じゅう、浅い海にただよいながら、海藻をむしゃむしゃと食べる草食動物です。海藻が豊かな岩場が、この動物のすみかでした。ときどき鼻を鳴らすような音や、ため息のような声を出して仲間とやりとりしていた、とシュテラーは書き残しています。

仲間思いの、やさしい性質

ステラーカイギュウは、数頭から十数頭の群れで暮らす、おだやかな動物でした。とくに知られているのが、仲間を思いやる強い性質です。シュテラーの記録によれば、一頭が捕らえられると、まわりの仲間たちが集まってきて助けようとしたといいます。おそってくる敵のいない海で、群れでよりそって生きてきた、やさしい動物だったのです。しかし、この仲間思いの性質が、のちに悲しい結果をまねくことになります。

発見者ゲオルク・シュテラー

ゲオルク・シュテラーの肖像画
ゲオルク・シュテラー(1709〜1746)。本人の当時の肖像は残っておらず、これは現代の画家が想像で描いたもの(Художник Санакоев В.В., 1996, CC BY-SA 4.0, via Wikimedia Commons

ベーリング探検隊と、島での難破

ステラーカイギュウの物語は、一度の大きな航海から始まります。1741年、探検家ヴィトゥス・ベーリングが率いるロシアの探検隊が、シベリアとアメリカのあいだの海を調べていました。この隊に、ドイツ人の博物学者ゲオルク・シュテラーが医者として乗りこんでいたのです。ところが帰り道、船は嵐にあって、のちに「ベーリング島」と呼ばれる無人島に打ち上げられてしまいます。壊血病(かいけつびょう)という病で、乗組員のおよそ半数が命を落とし、隊長のベーリングもこの島で亡くなりました。

生きた姿を記録した、ただ一人の学者

ステラーカイギュウを測る人々の図
浜に引き上げた巨体を人々が測るようす。大きさが人と比べてよくわかる(Leonhard Stejneger, Public domain, via Wikimedia Commons

きびしい冬を島で生きのびるあいだ、シュテラーは、まわりの海にすむ巨大な生き物に目をとめました。それがステラーカイギュウです。彼はこの動物の大きさや体のつくり、食べ方や行動までを、こまかく観察して記録しました。のちに『海獣誌(かいじゅうし)』という本にまとめられたこの記録は、生きたステラーカイギュウを科学的に書き残した、世界でただ一つの資料です。シュテラーはこのあと、シベリアを旅する途中に病で亡くなりました。まだ37歳の若さでした。海ワシ・カケス・アシカ・ケワタガモなど、多くの生き物に、いまも彼の名前が残されています。

27年で消えた ― 乱獲の歴史

発見時、すでにわずかしか残っていなかった

ステラーカイギュウのかつての分布図
かつての分布(推定)。もとは北太平洋に広くすんでいた(Fedor S. Sharko et al., CC BY 4.0, via Wikimedia Commons

じつはステラーカイギュウは、大昔には北太平洋の広い範囲にすんでいました。日本やアリューシャン列島、遠くカリフォルニアの海岸からも、化石が見つかっています。ところが人間が到来するころには、その多くがすでに姿を消していました。コマンドル諸島のまわりに、およそ2000頭ほどが残るだけだったのです。もともと数少ない生き残りだったからこそ、そこへ集中して狩りが行われると、あっという間に絶滅へ向かってしまいました。

毛皮猟師の食料になった

ラッコを追って来た猟師たち

島で生きのびた乗組員たちは、手作りの船でカムチャツカへ帰りつきました。そして、この島のまわりにラッコがたくさんいることを持ち帰ります。ラッコの毛皮は高く売れたため、多くの毛皮猟師がコマンドル諸島をめざすようになりました。

肉も脂も皮も、使われた

猟師たちにとって、島の近くにいる大きなステラーカイギュウは、またとない食料でした。一頭からとれる肉は大量で、しかも味がよく、日もちもします。脂は明かりの油に、かたい皮は船やくつの材料に使われました。こうして、猟のたびにステラーカイギュウが殺されていったのです。

どうやって狩られたのか

大きな鉄のかぎと、長いつな

狩りのようすは、シュテラー自身が書き残しています。猟師たちは、いかりのつめのような大きな鉄のかぎに、じょうぶで長いつなを結びつけました。まず数人が小舟でカイギュウに近づき、このかぎを体に打ちこみます。すると岸で待つ大勢の男たちが、力を合わせてつなをたぐり寄せ、あばれるカイギュウを浅瀬へ引き上げていきました。そこを刃物で何度も突いて、ようやく仕留めたのです。一頭を捕るのに、三十人ほどがかりだったといいます。

むだに失われた、多くの命

この狩りには、大きな問題がありました。かぎを打ちこまれても、カイギュウはあばれて逃げてしまうことが多かったのです。猟師たちは、傷ついた体が波で岸に打ち上げられるのを待ちました。しかし多くはそのまま海の底へ沈み、むだになったのです。つまり、実際に食べられた数よりずっと多くのカイギュウが、傷つけられて死んでいきました。このむだの多い狩りが、ただでさえ少なかった数を、いっそう早く減らします。むだな殺しをいましめる声もあったと伝わりますが、狩りが止まることはありませんでした。

仲間を見捨てない習性が、あだになった

さらに胸をつくのが、仲間を思う行動です。一頭がかぎで捕らえられると、まわりのカイギュウが集まってきて、助けようとしました。シュテラーの記録によれば、尾を使ってかぎをはずそうとしたり、つなの上に体を乗せて引きちぎろうとしたりしたといいます。とくに知られるのが、あるつがいの話です。メスが殺された翌朝、シュテラーがその場に行くと、オスがまだ死んだメスのそばを離れずにいました。さらに次の日も、オスは同じ場所にとどまっていたのです。逃げることを知らず、仲間を見捨てないやさしさが、この動物をより早い絶滅へと追いやってしまいました。

1768年、最後の一頭

発見されたとき、ステラーカイギュウはすでに、コマンドル諸島のまわりにわずかしか残っていませんでした。そこへ集中して狩りが行われたため、数はあっという間に減っていきます。そして1768年、最後のステラーカイギュウが狩られたと記録されています。シュテラーが発見してから、わずか27年後のことでした。近代の記録の中で、これほど短い間に絶滅した大型の哺乳類は、ほかにほとんど例がありません。海藻を食べる大きな草食動物が消えたことは、その海の生態系にも影響したと考えられています。

その後 ― 目撃談と、研究

ウィーンの博物館のステラーカイギュウ骨格
ウィーン自然史博物館の骨格標本。がんじょうな肋骨と大きな体つきがわかる(Sharon Hahn Darlin, CC BY 4.0, via Wikimedia Commons

「まだ生きている」といううわさ

絶滅したあとも、「巨大な海獣を見た」という目撃談が、ときどき伝えられました。19世紀には、ステラーカイギュウがまだ生きているのではないか、という説も話題になりました。しかし、そうした報告の多くは、クジラやアザラシを見まちがえたものと考えられています。いまのところ、絶滅後に生きた個体が見つかった、確かな証拠はありません。

骨から探る、失われた巨獣

いま、ステラーカイギュウを知る手がかりは、シュテラーの記録と各地に残る骨だけです。世界の自然史博物館には、骨を組み合わせた骨格標本や、実物大の模型が展示されています。近年は、骨から取り出したDNAを調べる研究も進み、ジュゴンやマナティーとの関係が少しずつわかってきました。ステラーカイギュウは、人間がどれほど早く一つの生き物を滅ぼしてしまえるかを示す、忘れてはならない例として語り継がれています。

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参考

  • IUCN Red List「Hydrodamalis gigas」(絶滅EX・最後の記録は1768年)
  • Wikipedia「Steller’s sea cow」英語版(体長最大9m・体重8〜10トンでカイギュウ目最大/ジュゴン科/海藻を食べ歯はない/浮きすぎて潜れない・厚さ2.5cmの樹皮状の皮=bark animal/群れで仲間を助ける習性/1741年シュテラーが記録し27年で1768年に絶滅)
  • Georg Wilhelm Steller『海獣誌(De bestiis marinis, 1751)』=生きたステラーカイギュウを記録した唯一の一次資料

画像出典

アイキャッチ画像: Emőke Dénes, CC BY-SA 4.0, via Wikimedia Commons

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