トラフアメフラシは、体長15〜40cmになる中〜大型のアメフラシで、黄褐色〜緑褐色の体に黒い斑輪(リング状の黒斑)を全身に散らします。斑輪の形が「虎斑(とらふ)」に例えられることから、日本ではこの和名で呼ばれます。学名は Aplysia dactylomela。近年の遺伝子解析で世界に分布していた個体群は複数種に分けられ、大西洋の集団が Aplysia dactylomela sensu stricto、太平洋・インド洋の集団は Aplysia argus に分割されました。日本近海のトラフアメフラシは分類上は Aplysia argus にあたりますが、通称としては引き続き「トラフアメフラシ」で親しまれています。他のアメフラシと同じく紫のインクを放って身を守ります。
分類と学名
分類階層
- 界:動物界 Animalia
- 門:軟体動物門 Mollusca
- 綱:腹足綱 Gastropoda
- 目:無楯目 Aplysiida
- 科:アメフラシ科 Aplysiidae
- 属:Aplysia
- 種:トラフアメフラシ Aplysia dactylomela(+姉妹種 Aplysia argus)
和名・英名
- 和名:トラフアメフラシ(虎斑雨降らし)
- 英名:Spotted sea hare(斑点のあるシーヘア)/ Ringed sea hare
別名と名前の由来
和名の「トラフ(虎斑)」は、背中に散らばる黒い斑輪の並びを虎の斑模様に見立てた命名です。種小名 dactylomela はギリシャ語で「指のように黒い」を意味し、体表の黒斑を指す形容として1828年にフランスの海洋動物学者ポール・ラング(Paul Sander Rang)が記載しました。英名 Spotted sea hare(斑点のあるシーヘア)も同じ意味で、Ringed sea hare(環状のシーヘア)と併せて世界のダイビング界で使われる呼び名です。2000年代の遺伝子解析で、大西洋の集団と太平洋・インド洋の集団は別種と結論づけられ、太平洋・インド洋のものは Aplysia argus(1831年に Rüppell & Leuckart が記載していた学名を復活)として整理されました。日本近海のトラフアメフラシは分類上は A. argus にあたりますが、水族館や図鑑では引き続き dactylomela として扱われることが多く、両者を厳密に見分けるのは体色や斑パターンだけでは難しいとされています。
大きさ・生息などの基本データ
| 大きさ | 体長 15〜30cm(最大約40cm・体重約2kg) |
|---|---|
| 体色 | 黄褐色〜緑褐色/黒い斑輪が全身に散らばる/餌の海藻の色素で個体差 |
| 頭部 | 2対の触角(前縁触角と嗅角)/嗅角がノウサギの耳のように立つ |
| 殻 | 体内に薄い板状の内殻/外からは見えない(アメフラシ全般の特徴) |
| 分布 | 大西洋の集団=A. dactylomela(大西洋熱帯亜熱帯)/太平洋・インド洋・地中海=A. argus(日本近海はこちら) |
| 生息環境 | 潮間帯・タイドプール・岩礁の水深0〜10m前後 |
| 食性 | 海藻(緑藻・紅藻)を歯舌で削り取って食べる |
| 寿命 | 飼育下で約1年(産卵後に急速に老化して死ぬ) |
| 保全状況 | IUCN未評価。世界の熱帯亜熱帯で観察例は多く、個体数は安定と見られる |

黒い斑輪が虎斑に見える、名前の由来
大小の環状黒斑が背中を飾る
1個体に数十個の斑輪が散らばる
トラフアメフラシの最大の目印は、背中と外套膜の全面に散らばる大小の黒い斑輪です。1個体に数十個の斑輪が並び、それぞれが黒い縁を持つリング状の模様になっています。地色の黄褐色〜緑褐色との組み合わせで、遠目には虎の斑模様のように見えることが和名「トラフ」の直接の由来です。
斑の色は餌の海藻でも変わる
斑輪の並びと大きさは個体差が大きく、成長するにつれて数が増えていきます。地色そのものも餌にする海藻の種類で微妙に変わり、赤藻の多い場所では褐色寄りに、緑藻を多く食べた個体では緑がかった色調に近づきます。1個体を1年観察すると、同じ個体でも色調が季節ごとに変化することが知られています。

体長40cm・体重2kg、大西洋の大型アメフラシ
通常でも15〜30cmの中〜大型種
最大40cm・体重2kgに達する
トラフアメフラシの通常サイズは体長15〜30cmで、大型個体は40cm・体重約2kgに達します。日本のアメフラシ(Aplysia kurodai)が20〜40cm前後で近い大きさなので、日本のダイバーには「同じくらいの大きさで黒斑があるアメフラシ」として区別しやすい種になります。
カリフォルニアアメフラシほど巨大化はしない
カリフォルニアアメフラシ(体長75cm・7kg)ほど巨大ではないものの、アメフラシ属としては大型の部類です。日本近海で見つかるアメフラシ属の中では、Aplysia kurodai と並んで比較的目立つ大きさになります。
浅い岩礁とタイドプールに多い
生息水深は0〜10mの浅場が中心で、干潮時のタイドプールでもよく見つかります。カリフォルニアアメフラシが水深18m前後まで暮らすのと比べると、より海面に近い場所を好む種です。ヨーロッパでは地中海のタイドプールで観察例が多く、家族で潮干狩りに出た人が偶然に見つける光景も報告されています。

紫のインクで身を守り、海藻を食べる
紅藻と緑藻を歯舌で削り取る
トラフアメフラシは、緑藻・紅藻など多くの種類の海藻を歯舌で削り取って食べます。餌の好みが広いためタイドプールから浅い岩礁まで幅広く生息でき、これが世界の熱帯亜熱帯に広がる要因の1つになっています。海藻の色素はそのまま体色に反映され、紅藻を多く食べた個体は赤褐色寄り、緑藻中心の個体は緑褐色寄りに変化します。
刺激を受けると鮮やかな紫のインクを噴出
紅藻の色素を体に貯めて墨にする
アメフラシ全般に共通しますが、刺激を受けると体表から鮮やかな紫のインクを噴出します。この色素は紅藻由来のフィコエリスリンから合成され、体内で防御用の墨として蓄えられます。ダイビングでうっかり触ってしまうと、突然目の前が紫に染まって驚くことで有名な種です。
ロブスターを混乱させる化学物質も含む
紫色の視覚効果に加えて、インクにはロブスターなど甲殻類の感覚神経を一時的にかき乱す化学物質(オパリンなど)が含まれます。捕食者は視覚と嗅覚の両方が混乱するため、短時間攻撃を止めるとされます。派手な色姿を持たないアメフラシ類にとって、このインク噴出は最大の防御手段です。

大西洋型と太平洋型、2000年代の別種化
従来1種→現在は姉妹種 A. argus と分離
Aplysia dactylomela はかつて世界の熱帯亜熱帯に広く分布する1種として扱われていました。しかし2000年代の遺伝子解析で、大西洋の集団と太平洋・インド洋の集団は約200万年前に分岐した別系統だと明らかになりました。この結果を受けて、太平洋・インド洋のものは1831年に Rüppell & Leuckart が記載していた Aplysia argus の学名を復活させて別種として扱われるようになっています。日本近海のトラフアメフラシは分類上は A. argus にあたりますが、通称の「トラフアメフラシ」で扱われることが多いのが現状です。
色や斑パターンではほぼ見分けられない
両種の見分けは、色や斑パターンだけではほとんど不可能とされます。分子系統解析でしか区別できないため、フィールドや水族館では産地の情報から判別する運用になっています。「大西洋=A. dactylomela/太平洋・インド洋=A. argus」というシンプルな見分け方で、写真だけでは断定しないのが現在の通例です。

雌雄同体、黄色いスパゲッティ状の卵塊
ウミウシ全般と同じく雌雄同体で、繁殖期には複数個体が数珠つなぎに連なる「交尾チェーン」を形成することがあります。1個体が前の個体に対して雄役、後ろの個体に対して雌役を同時に演じる形で、他のアメフラシ属と共通の繁殖行動です。産卵時には黄色〜橙色のスパゲッティ状の卵塊を岩や海藻の上に放出し、1匹あたりの卵数は1回で百万〜数千万個に達します。孵化した幼生は数週間プランクトンとして流された後、海藻の近くに着底して稚アメフラシに変態します。寿命は約1年で、大西洋型 A. dactylomela と太平洋・地中海型 A. argus のいずれも産卵をピークに急速に老化する短命な生活史を持ち、日本近海で見つかる集団は A. argus に属します。

黒斑パターンで見分け、神経科学の研究にも使われる
アメフラシ科には世界で数十種が知られ、日本近海でも Aplysia kurodai(アメフラシ)、Aplysia juliana(クロヘリアメフラシ)などが観察されます。トラフアメフラシは黒い斑輪パターンで他種と区別でき、北米西岸のカリフォルニアアメフラシ(Aplysia californica)と並んで神経科学の研究にも使われる大型種の1つです。ただしカリフォルニアアメフラシほど極端な巨大化はせず、40cm前後にとどまる点で異なります。

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