ミカドウミウシは、体長40〜60cmになる世界最大級のウミウシです。学名は Hexabranchus sanguineus で、外套膜を波のように翻しながら海中を泳ぐ姿から、英名 Spanish dancer(スパニッシュダンサー)と呼ばれます。ウミウシで積極的に泳げる種はごくわずかで、この赤いドレスをひるがえす姿はダイバーの憧れの被写体です。餌に食べる海綿から取り込んだ化学物質を体表に貯め、派手な赤や橙の色を捕食者への警告色として使います。卵塊は薔薇の花のような螺旋の帯状で、この色姿とあわせて古くから水中写真の対象になってきました。
分類と学名
分類階層
- 界:動物界 Animalia
- 門:軟体動物門 Mollusca
- 綱:腹足綱 Gastropoda
- 目:裸鰓目 Nudibranchia
- 亜目:ドーリス亜目 Doridina
- 科:ミカドウミウシ科 Hexabranchidae(1属数種)
- 属:Hexabranchus
- 種:ミカドウミウシ Hexabranchus sanguineus
和名・英名
- 和名:ミカドウミウシ/帝海牛
- 英名:Spanish dancer(スパニッシュダンサー)/別名 Blood-red sea slug
別名と名前の由来
属名 Hexabranchus はギリシャ語で「6本の鰓(えら)」を意味し、体の後半に6本の鰓を花状に開くこの科の特徴を表しています。種小名 sanguineus はラテン語で「血のような赤色」の意で、鮮やかな赤の体色にちなんだ命名です。日本語の「ミカド」(帝)は、赤い外套膜を翻す姿を高貴な装いになぞらえた古い命名で、明治期の博物学者による標準和名として定着しました。英名 Spanish dancer は、外套膜を大きく波打たせて泳ぐ姿がスペインの民族舞踊フラメンコの踊り子のドレスに見えることに由来します。かつては Hexabranchus lacer と同種として扱われていましたが、現在は sanguineus が有効な学名として広く用いられています。
大きさ・生息などの基本データ
| 大きさ | 体長 40〜60cm(最大約90cm・現生ウミウシで最大級) |
|---|---|
| 体色 | 成体は鮮やかな赤〜朱色/外套膜の縁は白/個体によりピンク〜紫の色変異あり |
| 幼体 | 白地に赤い縞模様(成体と外見が大きく違う) |
| 鰓 | 体後半の背中に6本の羽状鰓が花のように開く(属名の由来) |
| 分布 | インド洋・西太平洋の熱帯〜亜熱帯(紅海・アフリカ東岸〜日本・オーストラリア・ハワイ) |
| 生息環境 | サンゴ礁・岩礁の水深2〜50m前後、餌の海綿の近く |
| 食性 | 特定の海綿を食べる(Halichondriidae など)/海綿由来の化学物質を体に蓄える |
| 寿命 | 1〜2年程度(他のウミウシよりやや長め) |
| 保全状況 | IUCN未評価。広域分布・観察例多数で個体数は安定と見られる |

体長40〜60cm、現生ウミウシで最大級
成体の外套膜は掌ほどの広さ
通常個体で40〜60cm、最大90cmの記録
ミカドウミウシの通常サイズは体長40〜60cmで、外套膜を広げると成人の掌を超える大きさになります。まれに全長90cmに達する巨大個体も記録されており、現生ウミウシで最大級の種です。ウミウシの多くが数cm前後の小型種であることを考えると、この大きさは異例と言えます。
紅色から紫色まで、色変異が大きい
体色は基本的に鮮やかな赤〜朱色ですが、個体によりピンク・紫まで幅広く変化します。同じ海域でも異なる色の個体が観察されることが多く、餌となる海綿の種類や色素との関係が調べられています。外套膜の縁には白い帯が回り、体全体をくっきり縁取っています。

外套膜を翻して泳ぐ、名の由来
ウミウシで数少ない「泳ぐ種」
体側の外套膜を上下に波打たせて推進
ミカドウミウシの最大の特徴は、海中を積極的に泳げる点です。多くのウミウシは岩や海底を這って移動しますが、この種は体側の外套膜(マント状の縁)を上下に波打たせて海中を漂うように移動します。フラメンコの踊り子がドレスの裾を翻すような姿から、英名 Spanish dancer が広く定着しました。
危険を察知したときに泳ぎ始める
日中は岩の下や海綿の近くに隠れていることが多く、泳ぎ出すのは主に夜間や、危険を察知したときです。天敵に触られたり吸引されたりすると、外套膜を大きく展開して海中に飛び出し、数分〜十数分ほどダンスするように移動します。泳いだあとは近くの岩に着底して再び潜伏します。

海綿を食べ、その毒を体に借りる警告色
Halichondriidae 科の海綿が主な餌
ミカドウミウシは Halichondriidae 科など特定の海綿を主に食べます。海綿には他の動物が嫌う二次代謝物(テルペン類・アルカロイド類など)が含まれており、ミカドウミウシはこれを消化せず体組織に移して自分の防御物質として貯めます。イロウミウシ属のシンデレラウミウシなどと共通する仕組みで、ウミウシ全体の生存戦略の1つです。
派手な赤は「食べても不味い」の合図
警告色(aposematism)という戦略
鮮やかな赤・朱色は、魚などの捕食者に対する「食べても味が悪い」というサインだと考えられます。生物学ではこの色使いを警告色(aposematism)と呼び、目立つほど食べられにくくなる淘汰の結果とされます。
殻を捨てた分、化学防御と派手色で身を守る
カラフルな熱帯のウミウシに派手な色が多いのは、多くの種が化学防御と警告色を組み合わせているためです。ウミウシは進化の過程で貝殻を捨てて柔らかい体で暮らすようになった分、化学物質による身の守りが強く発達したグループとされます。

幼体は白と赤の縞、成体で赤一色に
孵化後は体長5mm前後の小さな稚ウミウシ
卵から孵化したミカドウミウシの幼生は、数週間プランクトンとして海中を漂ったのち、海底の適した海綿の近くに着底します。着底直後は体長5mm前後の小さな稚ウミウシで、成体とは違い白地に赤い縞が入った模様をしています。この幼体は別種のように見えるため、以前は別種として記載されていた時期もありました。
成長とともに赤一色になる
体長が数cmを超えるころから赤の色が体全体に広がり、白い模様は縁の帯だけを残して消えていきます。半年〜1年ほどで成体サイズに近づき、餌の量や海域によっては数か月で30cm前後まで急成長する記録もあります。この成長の速さも、ウミウシとしては例外的な部類とされます。

薔薇状の卵塊とエビの共生者
卵塊は薔薇の花のような螺旋の帯
幅数cm・全長20〜30cmのピンクリボン
ミカドウミウシの卵塊は、幅数cm・全長20〜30cmほどのピンク色のリボン状で、これを螺旋を描くように岩や海綿に貼り付けます。上から見ると薔薇の花が咲いたような形になり、ミカドウミウシの色姿と並んで水中写真の被写体として人気があります。
1回の産卵で百万個以上の卵を放出
1回の産卵で百万個以上の卵を放出することも知られており、外洋を漂う幼生の生存率の低さを補う戦略です。孵化した幼生は数週間プランクトンとして流された後、条件が合う海底に着底して変態します。
体に住み込む共生エビたち
ミカドウミウシの外套膜の下や鰓の付け根には、Periclimenes 属などの小型の共生エビが住み込むことが知られています。エビ側はウミウシの毒に守られた住まいと、体表につく微小な餌を得られる利点があります。ミカドウミウシ側にとっての利益は必ずしも明確ではありませんが、少なくとも大きな害はないと見られており、ウミウシと他の動物の共生関係の代表例として研究されています。
紅海から日本まで、インド太平洋の熱帯種
広域分布のダイビング人気種
ミカドウミウシはインド太平洋の熱帯〜亜熱帯に広く分布し、紅海・アフリカ東岸からハワイ・オーストラリアまで観察されます。フィリピン・インドネシア・沖縄以南の日本の海域はいずれも代表的な観察地で、水深2〜50mのサンゴ礁や岩礁の岩陰・海綿の近くで見つかります。
日本近海では奄美・沖縄の代表種
日本国内では奄美・沖縄以南のダイビングスポットで頻繁に撮影される代表種になります。慶良間諸島・八重山諸島・座間味などが有名で、夏場を中心に大型の成体が観察されます。本州でも小笠原諸島や紀伊半島南部で記録がありますが、頻度は南方が中心です。

1属数種のミカドウミウシ科
ミカドウミウシ属 Hexabranchus は世界で数種が知られる小さなグループで、いずれも大型かつ6本の羽状鰓を持つ点で他の裸鰓目と区別されます。近年の遺伝子解析ではインド太平洋の広域集団の中に複数の隠蔽種が存在する可能性が指摘されており、Hexabranchus sanguineus 自体の分類は今も見直しが続いています。

関連



