ニホンアシカ

哺乳類

ニホンアシカはかつて日本の沿岸に広くいたアシカです。江戸時代には禁猟とする藩がありましたが、本格的な漁が始まってからは約40年で姿を消しました。最後の確かな記録は1974年で、環境省は今も絶滅危惧種として扱っています。

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分類と学名

分類階層

  • 界:動物界 Animalia
  • 門:脊索動物門 Chordata
  • 綱:哺乳綱 Mammalia
  • 目:食肉目 Carnivora
  • 科:アシカ科 Otariidae
  • 属:カリフォルニアアシカ属 Zalophus
  • 種:ニホンアシカ Zalophus japonicus

和名・英名

  • 和名:ニホンアシカ
  • 英名:Japanese sea lion

独立した種になったのは2003年

この動物は長い間、カリフォルニアアシカの亜種として扱われてきました。1950年に奥尻島で掘り出された頭骨を比べたところ、体が大きく歯の並びも違うことが分かりました。ここから1985年に別の種とする説が出され、2003年に独立した種として認められています。

地方ごとの呼び名も多く残っています。

  • アジカ
  • ウミオソ
  • ウミカブロ
  • クロアシカ
  • トトノミチ

日本海側では「トド」と呼ばれていた可能性も指摘されています。江戸時代の書物「本草綱目啓蒙」などから読み取られたものです。

大きさ・分布などの基本データ

大きさ(オス)体長 平均240cm/体重 平均494kg
大きさ(メス)体長 推定180cm/体重 推定120kg
分布北はカムチャツカ半島南部、南は宮崎県の大淀川河口まで。日本海側は朝鮮半島沿岸から南樺太
生息環境岸から20km以内の沿岸。繁殖は開けた平らな砂浜が多く、岩場や海の洞窟も使った
食べ物ハダカイワシなどの魚、ホタルイカなどの頭足類
繁殖一夫多妻。5〜6月に交尾し、1回に1頭を産む
天敵シャチ、サメ類
保全状況IUCN EX(絶滅・2017年評価)/環境省レッドリスト 絶滅危惧IA類
最後の確かな記録1974年(北海道・礼文島沖)

※ どちらも絶滅のおそれを評価したリストです。IUCNレッドリストは国際自然保護連合、環境省レッドリストは日本の環境省がまとめています。この種は2つの評価が分かれています。

カリフォルニアアシカと見分けがつかなかった

泳ぐ姿勢で描かれたニホンアシカの博物図
Kawahara Keiga, Public domain, via Wikimedia Commons(江戸時代の博物図)

オスは240cm・494kg

大きさの記録はオスのものが中心で、メスの数値は推定にとどまります。オスは平均で体長240cm・体重494kg、メスは体長180cm・体重120kgほどとされます。494kgは大人7人分ほどの重さです。

年をとって変わるオスの頭

オスの全身は暗褐色だったと記録されています。年をとると頭の上部が盛り上がり、その毛が白くなりました。メスは灰褐色で、背筋だけが暗い灰色でした。

ただし外から見た形や体色では、カリフォルニアアシカとの判別は難しいとされています。頭骨や歯を調べて初めて違いが分かる相手でした。

縄文時代から日本の海にいた

佐賀県東名遺跡から出土した上顎の骨
Pekachu, CC BY-SA 4.0, via Wikimedia Commons(東名遺跡出土の上顎骨)

佐賀県で出た約8,000年前の骨

縄文時代の遺跡からはこの種の骨がよく出てきます。貝塚から見つかった例も各地にあります。佐賀県の東名遺跡では、低湿地の地層から約8,000年前の骨が出土しました。

骨は北海道・本州・四国の遺跡からも出ています。近い時代まで日本全国の沿岸にいたとみられます。

岸から20kmの海で暮らした

同じ海にいたキタオットセイやトドと比べると、大きな回遊はしなかったと考えられています。行動していたのは岸から20km以内の海です。20kmはマラソンの半分ほどの距離にあたります。

餌はハダカイワシなどの魚や、ホタルイカなどの頭足類だったとされます。シャチやサメ類に狙われることもありました。

繁殖が確認された4か所

繁殖は決まった場所でしか行われませんでした。確認されているのは次の4か所です。

  • 伊豆諸島の恩馳島
  • 青森県の久六島
  • 伊豆諸島の式根島
  • 竹島

竹島では4〜5月に集まり、7〜8月に散っていきました。犬吠埼などでも繁殖していたと推定されています。

江戸時代までは禁猟だった

和漢三才図会に描かれたアシカとオットセイ
寺島良安, Public domain, via Wikimedia Commons(和漢三才図会・1712年ごろ)

藩が出した禁令と監視役

江戸時代、この動物は各地で禁猟の対象でした。紀伊藩では初代藩主の徳川頼宣が禁令を出しました。回遊してくる時期の狩猟と、アシカ島への上陸を禁じています。衣奈八幡宮の宮司である上山家が監視役に命じられ、報告書の提出を義務づけられました。

高崎藩でも藩主が銚子での捕獲を禁じています。捕る場合は年に1回、冥加金という営業の税を納めた漁師1人だけに許可が出されました。

書物に残された姿と使い道

この動物は江戸時代の複数の書物に登場します。1712年ごろの和漢三才図会には、肉は食用に適さず油を煎り取っていただけ、と記されています。油は身を煮て取り出し、せっけんやにかわの原料にもなりました。

シーボルトの『日本動物誌』には、メスの若い個体が描かれています。1879年に神奈川県で捕獲されたメスの絵図も残っています。

40年で消えた3万頭

岩の上に集まるニホンアシカを写した1934年の写真
Unknown author, Public domain, via Wikimedia Commons(1934年6月・竹島で撮影)

20世紀初めに3万頭から5万頭

日本海と北太平洋の沿岸に、この種は広く散らばっていました。20世紀の初めの生息数は3万頭から5万頭と推定されています。

明治時代に入ると政治の混乱が続き、捕獲や駆除が野放しになります。新政府が捕獲を禁じたところや、江戸時代の保護策を引き継いだところもありましたが、徹底はされていません。禁猟を支えていた藩という仕組みが、そのまま消えたためです。

竹島で始まった組織的な漁

竹島周辺のアシカ漁は1900年代の初めから本格化します。乱獲が心配されたため、1905年4月に島根県が規則を改め、許可を受けた者だけが漁をする形に変えました。同じ年の6月には「竹島漁猟合資会社」が設立され、組織的な漁が始まります。

それでも捕獲は止まりません。平均して年に1,300〜2,000頭が獲られ、多い年には3,200頭に達しました。1904年から1911年までの約8年間では14,000頭にのぼります。日本の漁で獲られた総数は16,500頭とされます。

県庁の池で死んだ3頭

1905年8月には、島根県知事の松永武吉が県の職員と島へ渡っています。漁民から譲り受けた3頭を生きたまま持ち帰り、県庁の池で飼いましたが、まもなく死にました。この3頭は剥製にされ、のちに県内の高校で見つかります。

1915年に漁獲が300頭まで落ちた

漁獲の数は減っていく個体数を映しています。多い年に3,200頭を数えた漁獲が、1915年には300頭へ落ちました。1930年代には数十頭になります。20世紀に入ると、必要な部分を取ったあとの肉と骨が肥料として売られました。昭和の初めにはサーカス用としても捕られています。

商業的な漁は1940年代に終わりました。捕り尽くして、獲るものがなくなったためです。本格的な漁が始まった1900年代の初めから数えると、約40年でした。第二次世界大戦中の潜水艦戦も、生息地を壊した一因と考えられています。

最後の確かな記録は1974年

戦後に残っていた50〜60頭

戦後の調査で確認できた場所は、ごくわずかになっていました。1950年代には竹島に50〜60頭が残るだけでした。以降の報告は礼文島沖や竹島など数か所に限られます。

日本の外でも記録は途切れていきます。1949年に南樺太の海馬島で捕獲例、1962年には千島列島の捨子古丹島で目撃例がありました。1967年にはカムチャツカ半島で死骸が見つかっています。

礼文島沖の幼獣は20日後に死んだ

1974年、礼文島沖でアシカやアザラシの仲間の幼獣が捕獲されました。キタオットセイとは外見が明らかに違い、トドとは生態も大きさも異なることから本種と判定されています。飼育されましたが、20日後に死にました。

翌1975年、竹島で2頭が目撃されています。これを最後に、この種の生息は報告されていません。

分かれた判定と復元の計画

1991年に「絶滅」と判定された

レッドデータブックは、絶滅のおそれがある生き物をまとめた本です。過去50年以上にわたって信頼できる生息情報がないものを、絶滅とする基準があります。環境庁は1991年、この基準をあてはめてニホンアシカを絶滅と判定しました。

環境省は今も絶滅危惧IA類

この判定には反論があります。1974年の捕獲例があるため、50年の条件を満たさないという指摘です。調査が進んでいないカムチャツカ半島にわずかに残る可能性も挙げられています。

その後、環境省は分類を絶滅危惧IA類へ改めました。生き残っているとしても10頭以下と見積もられています。国際自然保護連合は2017年の評価で絶滅としており、2つの評価は分かれたままです。

種の分からない目撃が続く

本種として確認された最後の記録のあとも、日本の沿岸でアシカが何度か目撃されています。

  • 1981年と1985年 岡山県玉野市の宇野
  • 2003年7月 鳥取県岩美町の海岸
  • 2016年3月 鹿児島県の下甑島の周辺

いずれも種は特定できていません。この動物はカリフォルニアアシカと外見が似ており、姿を見ただけでは決め手になりません。骨や歯を調べて初めて分かる違いだからです。

アメリカから連れてくる案

2007年、韓国の環境部が日本海へアシカを戻す計画を発表しました。まず生き残りを探し、見つからなければアメリカからカリフォルニアアシカを移すという内容です。生態系の回復や観光への期待が理由に挙げられています。

残された剥製と8ミリフィルム

展示されているニホンアシカの剥製
Togabi, CC BY-SA 4.0, via Wikimedia Commons(博物館の剥製)

世界に10体から15体

長い間、別のアシカやトドだと思われていたり、存在そのものが忘れられていた剥製が少なくありません。現存するのは世界で10体から15体ほどとみられています。

1886年に島根県美保関町で捕獲された剥製が、島根大学に保管されていました。1991年の調査でニホンアシカと判明しました。これをきっかけに、ほかの剥製も次々と見つかっています。2018年には九州大学で、死蔵されていた1体が出てきました。

竹島で恐れられた「リャンコ大王」

大阪市の天王寺動物園には、竹島で捕獲された6体の剥製があります。戦前にこの園で飼われていた個体のものと分かりました。

その中には竹島で恐れられた巨大なオスも含まれています。「リャンコ大王」と呼ばれていた個体です。2006年11月、天王寺動物園の「絶滅の危機にある動物展」で、剥製は初めて一般に公開されました。

米子の民家から出た1940年の映像

当時の姿を伝える写真は10点ほど残っています。1992年には鳥取県米子市の民家から、1940年に竹島で撮影された8ミリフィルムが見つかりました。そこには動くニホンアシカが写っていました。

1948年のニュース映画には、大阪の淀川に迷い込んだアシカが捕獲される場面も残っています。

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参考

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