ナガスクジラは体長20〜25m・体重40〜80トンにもなる、シロナガスクジラに次ぐ地球上で2番目に大きな動物です。大型鯨類のなかでもっとも速く泳ぐ種で、その俊足から「海のグレイハウンド」の異名を持ちます。下顎の色は右が白、左が黒。これほど明確な左右非対称の体色を持つ脊椎動物はほとんどありません。20世紀にはシロナガスクジラの数が減った後の主な捕鯨対象となり、日本でも「尾の身」などの高級部位が食文化に根づいてきました。IUCN レッドリストでは危急種(VU・2018評価)に分類されています。
分類と学名
分類階層
- 界:動物界 Animalia
- 門:脊索動物門 Chordata
- 綱:哺乳綱 Mammalia
- 目:鯨偶蹄目 Cetartiodactyla
- 下目:ヒゲクジラ下目 Mysticeti
- 科:ナガスクジラ科 Balaenopteridae
- 属:ナガスクジラ属 Balaenoptera
- 種:ナガスクジラ Balaenoptera physalus
和名・英名
- 和名:ナガスクジラ/長須鯨
- 英名:Fin whale / Common rorqual / Razorback
別名と名前の由来
和名の「ナガスクジラ(長須鯨)」は、下顎から腹側まで走る「畝(うね/須)」と呼ばれる縦じわが特に長いことに由来します。ナガスクジラ科の他種と比べても畝が長いのが特徴です。この長さがそのまま和名になった形といえます。英名の「Fin whale」は、背中の後ろ寄りに立つ大きな背びれ(fin)にちなむ呼び名です。もう一つの英名「Razorback」は、潜水時に背中を大きく反らせて剃刀(かみそり)のような鋭い稜線を作る姿から付けられました。学名の Balaenoptera physalus は、ギリシャ語で「鰭のあるクジラ」+「膨らみやすいクジラ」を意味する語で、突進採餌で下顎の畝を膨らませる姿が名の由来となっています。1758年にリンネが原記載しました。
大きさ・生息などの基本データ
| 大きさ | 体長 20〜25m(南半球亜種で最大約27m)/体重 40〜80トン |
|---|---|
| 性的二型 | 雌のほうがやや大きい/南極海の個体はやや大型 |
| 遊泳速度 | 巡航約10〜18km/h/全力遊泳で最大約40km/h(大型鯨で最速) |
| 体色 | 背側:暗い灰色/腹側:白/下顎:右白・左黒の非対称 |
| ヒゲ板 | 片顎に260〜480枚/色はほぼ黒(右前方だけ白) |
| 分布 | 全世界の海洋(熱帯を除く/極域まで) |
| 食性 | オキアミ/小魚(ニシン・イカナゴ・カラフトシシャモ)/少量のイカ |
| 潜水 | 通常5〜15分/最大約470m |
| 繁殖 | 妊娠 約11〜12ヶ月/仔6〜6.5m/授乳約6〜7ヶ月 |
| 寿命 | 約80〜90年(最長140年の推定あり) |
| 世界個体数 | 約10万頭(捕鯨前は約72万頭・南半球集団) |
| 保全状況 | IUCN:危急種(VU・2018評価)/CITES附属書I/IWC全面保護(1985年〜) |
世界2番目の大きさ・海のグレイハウンド

25mに達する巨体
亜種と地域差
ナガスクジラは体長20〜25mが標準で、南半球の亜種は最大で約27mに達します。体重は40〜80トンに達し、シロナガスクジラに次ぐ現生2番目の大きさです。北半球と南半球で亜種が分かれており、南半球亜種の方が数メートル大きくなる傾向があります。2020年代の遺伝子研究では北太平洋の集団も別亜種として認められる方向で議論が進んでおり、亜種の区分は今も変わりつつあるとされます。
「グレイハウンド」の異名
ナガスクジラのもう一つの特徴が、大型鯨類のなかでもとくに速い遊泳能力です。全力で泳げば時速40km近くに達し、細長い流線形の体と長い胸びれが高速遊泳を支えます。この俊足から「Greyhound of the sea(海のグレイハウンド)」の異名で親しまれてきました。1868年に爆発銛(ばくはつもり)が発明されるまでは、船から捕獲することはほぼ不可能でした。速いうえに沈みやすい体組成をしているため、19世紀までは捕鯨の主対象になりませんでした。
細長い流線形と剃刀のような背
体は細く長い流線形。水の抵抗を最小限に抑える形をしています。潜水するときに背中を大きく反らせて水面に鋭い稜線を作る動作から、英名の Razorback(剃刀の背)が付けられました。背びれは体の後ろ寄りに立つ大きな鎌型で、シロナガスクジラよりずっと目立つ形です。海面ではまず高い潮吹き、続いて長い背中と大きな背びれが見え、最後に稜線を反らせて潜っていく──この一連の動きが本種の目撃時の代表的なシーンです。
下顎の色は右白・左黒──動物界でも珍しい非対称

動物界でも珍しい左右の色差
ナガスクジラの下顎は、右側が白、左側が黒。塗り分けは明瞭です。口の内側のヒゲ板も、右前方だけが白くなっています。これほど明確な左右非対称の体色を持つ脊椎動物はほとんど例がなく、鯨類のなかでも本種と、近縁のイワシクジラの一部にしか見られない特徴です。生まれた仔クジラの時点ですでにこの非対称が現れており、遺伝的に決まっているとされます。
採餌時の役割仮説
この非対称がなぜあるのかは完全には解明されていません。有力な仮説の一つが「採餌時の位置取り」に関わるという説です。ナガスクジラは獲物の群れに接近するとき、体を右に傾けて回転しながら突進する行動が観察されています。右側を上(明るい水面側)に向けることで、白い下顎が周囲に溶け込んで獲物に気づかれにくくなる、という「隠蔽(カウンターシェーディング)」の仕組みが働いている可能性が指摘されています。獲物を混乱させる別の仮説もあり、単一の説では説明できない現象として研究が続いています。
ヒゲ板と突進採餌
ナガスクジラはヒゲクジラの仲間らしく、口内に約260〜480枚のヒゲ板が並びます。主な獲物はオキアミ。ただしニシン・イカナゴ・カラフトシシャモなど、群れる小魚も積極的に食べる点がシロナガスクジラとの大きな違いです。獲物の密集した群れに向かって時速20〜30kmで突進し、大きく口を開けて海水ごと丸ごと飲み込む「ランジフィーディング(突進採餌)」を行います。飲み込んだ海水は下顎から腹部まで走る畝(うね)を風船のように広げて溜め、その後ヒゲ板の内側で漉して獲物だけを口の中に残します。この一連の動作にかかる時間は1回で6〜10秒とされます。
20Hzのフィンパルス──海に響く低周波
1,000km先まで届く低い音
ナガスクジラの発する鳴き声は「20ヘルツ・パルス(20 Hz pulse)」と呼ばれます。周波数20Hz前後の非常に低い音を、短く区切って発します。人間の耳ではぎりぎり感じ取れるかどうかの領域ですが、水中では減衰しにくく、条件が良ければ数百kmから1,000km先まで届くと計測されています。
潜水艦と疑われた歴史
1950〜60年代、この音は正体不明の水中音として海軍のソナーで観測され、ソ連の潜水艦音とも疑われた歴史があります。1980年代に本種の鳴音であることが確定してからは、集団間のコミュニケーションを支える主要な信号として研究されています。雌よりも雄が頻繁にこの音を発することから、繁殖にも関係するとされます。
回遊と分布

ナガスクジラは熱帯を除くほぼ全世界の海洋に分布。北半球集団は北大西洋・北太平洋に、南半球集団は南極海の縁辺で夏に集中的に採餌します。北と南の集団は赤道付近でほとんど交わらないため、遺伝的にも独立した集団として維持されてきました。日本近海では小笠原諸島・伊豆諸島・北海道沖などで目撃例が記録されており、季節によっては東北〜北海道沖でホエールウォッチングの対象にもなります。ただしザトウやシロナガスと比べると出現は稀で、確実に会える種ではないとされます。
捕鯨史と日本の食文化──尾の身と赤身

20世紀の南極海捕鯨
爆発銛以降の急増
ナガスクジラは19世紀までは俊足のため捕鯨の主対象になりませんでした。しかし1868年に爆発銛が発明され、続いて蒸気捕鯨船が普及すると、20世紀の商業捕鯨で大量に捕獲されるようになります。20世紀を通じて南半球だけで約72万頭が捕獲されました。シロナガスクジラの個体数が枯渇した1960年代以降は、本種が主な捕獲対象となりました。
IWC全面禁止と回復
国際捕鯨委員会(IWC)は1976年に南半球、1985年に北半球でも本種の商業捕鯨を停止しました。現在の世界個体数は約10万頭とされます。捕鯨前の1/7程度まで減った状態から、徐々に回復している段階です。ザトウクジラほど早い回復ではなく、南極海の個体群は依然としてピーク時の数分の一にとどまるとされます。
日本近海の刺身文化──尾の身と赤身
尾の身と赤身の食文化
日本ではナガスクジラの肉を古くから食べてきた歴史があり、とくに尾びれの根元にある赤身「尾の身(おのみ)」は、脂の乗った最上級部位として珍重されてきました。刺身・湯引き・すき焼き用として調理され、鯨肉のなかでも最高級の部位として今も一部の飲食店で提供されています。赤身は牛肉より鉄分が多く、低脂肪で高タンパクな食材として重宝されてきました。
現在の流通と議論
ただし現在、日本での商業的な鯨肉流通は調査捕鯨や再開後の限られた捕獲枠に依存しています。市場規模は縮小し続けている状況です。IWCの規制と国際的な保全動向、日本の食文化の間で議論が続く題材の一つです。アイスランドは商業捕鯨を続けており、日欧の消費が保全の議論を左右し続けている状況となっています。
保全と現在の脅威
IUCNレッドリストでの評価は危急種(VU・2018)。2013年評価まで絶滅危惧種(EN)でしたが、個体数の回復が確認されて一段階緩和された経緯があります。CITES附属書I・CMS附属書I・IIにも掲載され、国際的な保全対象です。現在の主な脅威は、大型船舶との衝突・海洋騒音の増加・漁具混獲・気候変動によるオキアミ分布の変化などです。地中海の集団は個体数減少が続いており、地域単位では回復が進んでいないケースもあります。アイスランドは商業捕鯨を続けており、本種の捕獲を巡って国際的な議論が続いている状況です。
関連ページ


参考
- Wikipedia (英語版)「Fin whale」(分類・形態・生態)
- IUCN Red List: Balaenoptera physalus(VU・2018評価)
- NOAA Fisheries「Fin Whale」(分布・脅威・保護状況)
- Watkins, W.A. et al. (1987). “The 20-Hz signals of finback whales (Balaenoptera physalus).” Journal of the Acoustical Society of America 82: 1901-1912(20 Hzパルスの発見)
- Tershy, B.R. & Wiley, D.N. (1992). “Asymmetrical pigmentation in the fin whale: A test of two feeding related hypotheses.” Marine Mammal Science 8: 315-318(下顎非対称の採餌仮説)
画像出典
- Laura (Laney) White (USGS), Public domain, via Wikimedia Commons(アイキャッチ・上空からの水面突進)
- Frédérique Lucas & ChrisTheWhaleKing, Public domain, via Wikimedia Commons(3亜種の大きさ比較)
- Unknown author, Public domain, via Wikimedia Commons(上空から見た全身)
- Michal Klajban, CC BY 4.0, via Wikimedia Commons(分布図)
- H. Zell, CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons(全身骨格・屋外展示)


