ムラサキウミコチョウは、体長8.7〜12mmの日本近海の頭楯目の巻貝で、貝殻を退化させた「ウミウシの仲間」です。紫〜赤紫の体に橙色の縁取りを持ち、大きく広がる翼のような側足で海中を蝶のように遊泳する姿から「ウミコチョウ(海の胡蝶)」の和名がついた小型種になります。学名は Sagaminopteron ornatum。1964年、日本の海洋動物学者・時岡隆と裸鰓類学者・馬場菊太郎の共同研究で、相模湾で採集された個体をもとに新属新種として記載されました。属名 Sagaminopteron は「Sagami(相模)」+「pteron(ギリシャ語の翼)」を組み合わせた造語で、相模湾で発見された翼のあるウミコチョウを表しています。日本近海では紀伊半島・伊豆半島・南西諸島などで観察でき、遊泳するウミウシとして水中写真の被写体に取り上げられることの多い種です。
分類と学名
分類階層
- 界:動物界 Animalia
- 門:軟体動物門 Mollusca
- 綱:腹足綱 Gastropoda
- 目:頭楯目 Cephalaspidea
- 上科:アワツブガイ上科 Philinoidea
- 科:ウミコチョウ科 Gastropteridae
- 属:ムラサキウミコチョウ属 Sagaminopteron
- 種:ムラサキウミコチョウ Sagaminopteron ornatum
和名・英名
- 和名:ムラサキウミコチョウ(紫海胡蝶)
- 英名:Purple sea butterfly(属名・種名のカタカナ読みで呼ばれることも多い)
別名と名前の由来
和名の「ウミコチョウ(海胡蝶)」は、大きく広がる翼のような側足で海中を蝶のように遊泳する姿を、空を舞う胡蝶に見立てた命名です。「ムラサキ」は本種の紫色の体色に由来する平易な呼び名です。学名の属名 Sagaminopteron は「Sagami(相模)」と古典ギリシャ語の pteron(翼)を組み合わせた造語で、タイプ産地の相模湾と翼のような側足の形態を反映した命名になります。種小名 ornatum はラテン語で「飾られた・華やかな」を意味し、紫と橙のコントラストが華やかな体色に由来します。1964年、京都大学瀬戸臨海実験所の時岡隆(Takasi Tokioka)博士と裸鰓類分類学の第一人者・馬場菊太郎(Kikutaro Baba)博士の共同研究により、相模湾で採集された個体をもとに新属新種として記載されました。ウミコチョウ科は貝殻を退化させた頭楯目の巻貝で、分類学的にはウミウシ(裸鰓類)とは別グループながら、貝殻を失った軟体動物として「広義のウミウシ」に含められることが多い種類です。
大きさ・生息などの基本データ
| 大きさ | 体長 約8.7〜12mm(中型のウミコチョウ) |
|---|---|
| 体色 | 紫〜赤紫の地色で玉虫色に光る/外套膜の縁は白く、その外側を橙色の細帯が縁取る/突起は橙色 |
| 形態 | 翼のような側足(parapodia)を大きく広げて遊泳/背面隆起は卵形で後半に2対の突起(前対が後対より大きい)/触角なし(頭楯目の特徴)/鰓は7葉 |
| 分布 | 日本近海/相模湾(タイプ産地)/紀伊半島/伊豆半島/南西諸島/フィリピン/インド太平洋 |
| 生息環境 | サンゴ礁・岩礁の礁縁/水深5〜25m |
| 食性 | コケムシ・海綿など(頭楯目・ウミコチョウ科の一般的な食性) |
| 寿命 | 数か月〜約1年(頭楯目全般) |
| 保全状況 | IUCN未評価。分布域では観察例が報告されるものの、決して普通種ではない |

翼のような側足で蝶のように遊泳する
parapodiaを広げて水中を泳ぐ
側足を翼状に広げて上下に波打たせる
ムラサキウミコチョウの最大の特徴は、体の左右に大きく張り出した翼のような側足(parapodia・パラポディア)です。休息時は側足を折りたたんで背中側に丸め込み、遊泳時にはこれを翼のように広げて、上下に大きく波打たせながら海中を推進します。側足を上下に波打たせて進む遊泳姿が「海胡蝶」の和名の直接の由来になります。
数秒〜数分だけ泳いで岩に着底する
遊泳は数秒〜数分程度の短時間で、多くは岩や海藻から水中に離れる際や別の場所へ移動する際に見られます。ダイビングで観察すると1メートル前後泳いだあとサンゴ礁の岩に着底することが多く、遊泳中の姿の撮影例は限られます。裸鰓類のメリベウミウシやスペインショールウミウシと並ぶ「泳ぐウミウシ」の代表として扱われる種です。
紫の体を橙の細帯で縁取る
光の角度で玉虫色に発色する
体地色は紫から赤紫で、光の当たり方によって玉虫色に光ります。外套膜の縁は白く、その外側を橙色の細帯が縁取る三重の色構造です。この紫と橙の補色関係が本種を印象づける配色で、他のウミコチョウ科の中でも識別しやすい種になります。
背面後半に橙の突起を2対並べる
背面の卵形の隆起の後半には2対の突起があり、前の対が後の対より著しく大きくなります。左前方の突起は二叉状で、右前方の突起は最大に発達して自由外套縁の後部を形作ります。これらの突起はすべて橙色に色づき、紫の体色の中でアクセントとして機能します。7葉の二次鰓と合わせて、頭楯目としては独特の形態を持つ属です。
1964年に時岡・馬場が相模湾で新属新種として記載
時岡隆と馬場菊太郎の共同記載
瀬戸臨海実験所の時岡が海洋無脊椎を包括研究
本種は1964年、京都大学瀬戸臨海実験所の時岡隆(Takasi Tokioka)博士と、日本の裸鰓類分類学の第一人者である馬場菊太郎(Kikutaro Baba)博士の共同研究により新属新種として記載されました。時岡博士は瀬戸臨海実験所の初代所長を務めた海洋動物学者で、日本近海の海洋無脊椎動物を包括的に研究した人物です。
相模湾で採集した個体をタイプに指定
タイプ産地は神奈川県の相模湾で、この地名が属名 Sagaminopteron の Sagami に取り入れられています。日本近海が発見地となった裸鰓類・後鰓類は数多くありますが、属名にまで日本の地名が刻まれる種は珍しい部類に入ります。
貝殻を退化させて広義のウミウシに含まれる
ムラサキウミコチョウは頭楯目(Cephalaspidea)ウミコチョウ科(Gastropteridae)に分類され、分類学的には裸鰓目のウミウシとは別のグループです。頭楯目には貝殻を体内に残す種や体表に載せる種が多く含まれますが、ウミコチョウ科は貝殻を完全に退化させた点で裸鰓類と姿が近く、ダイビング図鑑では「広義のウミウシ」として扱われる種類です。頭楯目の特徴として触角を持たない代わりに、頭部が板状の「頭楯」で覆われています。ウミコチョウ科の食性はコケムシや小型カイメンが中心と考えられていますが、本種の詳細な餌の記録は少ない状況です。
雌雄同体で白い螺旋卵塊を産む
頭楯目の例にもれず、ムラサキウミコチョウも雌雄同体で、2個体が出会うと互いに精子を交換して両方が卵を産む種です。産卵時には翼状の側足で遊泳する成体らしく、留まることのないコケムシや海綿の群体近くの岩や海藻に白いリボン状の卵塊を素早く貼り付けて次のポイントへ移動します。孵化した幼生(ベリジャー幼生)は数週間プランクトンとして海中を漂ったのち、着底して稚貝に変態するのが基本の発生様式です。寿命は短く、翼状の側足で遊泳しながらコケムシや海綿の群体を渡り歩いて数か月〜1年の生涯を終えるのがムラサキウミコチョウの生活史で、体長1cm前後の小さな体からは想像しにくい活発な移動範囲を持ちます。
紀伊半島・伊豆・南西諸島で観察できる
日本近海では相模湾のタイプ産地に加え、紀伊半島(串本)/伊豆半島(大瀬崎・IOP)/四国/九州/奄美大島/沖縄本島/八重山諸島まで温帯〜亜熱帯の岩礁域に広く分布します。海外ではフィリピンなどインド太平洋の各地から観察例が報告されています。静止した個体の観察例に比べ、翼を広げた遊泳姿の記録例は限られます。ウミコチョウ科は世界に数属数十種が知られ、日本近海には本種のほかにオレンジウミコチョウ Siphopteron brunneomarginatum などが分布します。
関連



参考
- 世界のウミウシ: ムラサキウミコチョウ Sagaminopteron ornatum
- 黒潮生物研究所: ムラサキウミコチョウ
- JAMSTEC BISMaL: Sagaminopteron ornatum ムラサキウミコチョウ
- Dive Evis 生物図鑑: ムラサキウミコチョウ
- iNaturalist: Sagaminopteron ornatum


