サラサウミウシは、体長3〜5cm前後の日本近海に住む裸鰓目イロウミウシ科の巻貝で、貝殻を退化させた「ウミウシの仲間」です。乳白色の地に細かい赤〜赤褐色の網目模様を全身に散らし、外套膜の縁を黄色の細い線と幅広い白帯の二重で縁取る色柄で、和名の「サラサ(更紗)」はインド起源の染色布に見立てた命名になります。学名は Goniobranchus tinctorius。原記載は1830年で、ドイツの動物学者エドゥアルト・リュッペル(Eduard Rüppell)とフリードリヒ・レウカルト(Friedrich Sigismund Leuckart)が紅海シナイ半島の個体をもとに Doris tinctoria として記載しました。日本の温帯から亜熱帯の岩礁で普通に見られる種で、同属のオトヒメウミウシ・ボブサンウミウシと並ぶ Goniobranchus 属の代表的な種の一つとして扱われます。近年の分子系統解析では、太平洋の個体群と紅海のタイプ個体群が別種の可能性を示す見解も出ており、分類の再整理が進行中の種でもあります。
分類と学名
分類階層
- 界:動物界 Animalia
- 門:軟体動物門 Mollusca
- 綱:腹足綱 Gastropoda
- 目:裸鰓目 Nudibranchia
- 亜目:ドーリス亜目 Doridina
- 科:イロウミウシ科 Chromodorididae
- 属:ゴニオブランクス属(旧クロモドーリス属)Goniobranchus
- 種:サラサウミウシ Goniobranchus tinctorius
和名・英名
- 和名:サラサウミウシ(更紗海牛)
- 別名:ヒャクメウミウシ(百目海牛)/チリメンウミウシ(縮緬海牛)
- 英名:Tinctorius nudibranch(学名の英語読み)
別名と名前の由来
和名の「サラサ(更紗)」はインドを発祥とする木綿の染色布・更紗織を指す語で、赤や青の細かい模様を染めつけた布地の総称です。江戸時代に日本へ渡来した更紗織は貴重品として珍重され、その細かい網目状の模様が本種の背中の赤網目と重ね合わされて和名になりました。別名の「ヒャクメウミウシ」は網目の一つ一つを「目」に見立てた命名、「チリメンウミウシ」は縮緬(ちりめん)織のしぼの細かさに見立てた命名です。属名 Goniobranchus は「角のある鰓」の意で、Bergh(1891)が設立した属になります。長らく Chromodoris 属に含められていたグループが、Johnson & Gosliner による2012年の分子系統解析で Chromodoris 属から分離され、現在の属名に整理されました。種小名 tinctorius はラテン語で「染める者の」を意味し、原記載者リュッペルとレウカルトが本種の標本をアルコールに10回浸漬しても濃い褐色の色素が抜けなかったという「強い染色性」の観察に由来する命名です。1830年、ドイツ・フランクフルトの動物学者エドゥアルト・リュッペルとフリードリヒ・S・レウカルトが紅海シナイ半島南端のエル・トール沖で採集した個体をもとに Doris tinctoria として原記載しました。
大きさ・生息などの基本データ
| 大きさ | 体長 約30〜50mm(中型のイロウミウシ) |
|---|---|
| 体色 | 地色は乳白色〜淡桃色/背面全体に赤〜赤褐色の細かい網目模様が散在/網目の中に白色の外套腺(点状の斑)が並ぶ/外套膜の最外周は黄色の細い線、その内側にやや幅広い白色帯/触角(rhinophore)は茎部が半透明の白で葉状部が赤褐色/二次鰓は約19枚の羽状で赤褐色〜白の縞 |
| 分布 | 日本(本州中部以南・伊豆半島・房総半島・紀伊半島・四国・九州・南西諸島)/太平洋の熱帯域(フィリピン・インドネシア・オーストラリア北部)/※狭義の Goniobranchus tinctorius は紅海・オマーン湾に限定される見解も |
| 生息環境 | 岩礁・サンゴ礁の礁縁/潮間帯下部〜水深20m前後/餌となる海綿の付着する岩肌 |
| 食性 | 海綿(イロウミウシ科の一般的な食性) |
| 寿命 | 数か月〜約1年(イロウミウシ科全般) |
| 保全状況 | IUCN未評価。日本近海では普通種として観察例が多数報告される |

乳白色地に赤網目と黄縁で見分ける
細かい赤〜赤褐色の網目模様
網目の粗密は個体差が大きい
体地色は乳白色〜淡桃色で、背中一面に細かい赤〜赤褐色の網目模様を散らします。網目の粗さや色の濃さには個体差があり、成熟個体では模様が濃密になる一方、若齢個体では網目が疎で地色の白が広く残る傾向にあります。網目の連続性も個体によって異なります。はっきりした網状の個体もあれば点々の集まりに見える個体もあり、観察時に個体差として現れる特徴です。
外套腺の白い点が散る
網目模様の中に、白色〜淡黄色の丸い点が散在します。この点はイロウミウシ科に共通する「外套腺(MDF・mantle dermal formations)」と呼ばれる分泌腺で、餌の海綿から取り込んだ化学的忌避物質を貯蔵する器官です。魚などの捕食者に襲われた際にこの分泌物を放出して身を守るしくみで、鮮やかな網目模様と合わせて「食べても不味い・危険」を知らせる警告色として機能します。
外套膜の縁は黄色と白の二重
最外周の細い黄色の線
外套膜の縁は、まず最外周をごく細い黄色の線が縁取ります。この黄線はサラサウミウシの識別ポイントで、同属で色柄が似た他種と区別する際の最初の手がかりになる部位です。黄色の濃さや幅は個体・撮影光の当たり方で変わりますが、大部分の個体で確認できます。
内側の幅広い白色帯
黄線の内側には、幅広い白色の帯が続きます。この白帯には赤色の斑紋が散在することがあり、白帯そのものと網目領域の境目は明瞭です。同属のオトヒメウミウシ(Goniobranchus kuniei)が外套膜縁を紫〜青の縞で縁取るのに対し、本種は「黄+白」の二重縁で識別できます。

「更紗」はインド発祥の染色布模様
江戸期に渡来した木綿の染色布
ポルトガル人がもたらした異国の布
「更紗(さらさ)」の語源にはポルトガル語 saraça/ヒンディー語 sarass/ジャワ語 seratos など諸説があります。インドから東南アジアを経由して日本へ伝わった染色木綿を指す通称でした。江戸時代の日本に到来した更紗はインド更紗・ジャワ更紗・和更紗などに分類され、細かい花や幾何模様を染めつけた細密な染色布として珍重されました。
色柄の連想から和名に採用
本種の背中に密に走る赤の網目模様が、この更紗の細かい染模様に重ね合わされて「サラサウミウシ」の和名になりました。魚類にも「サラサハタ」「サラサエビ」「サラサヤッコ」など更紗を冠する種が複数あり、いずれも網目・斑紋・幾何模様を持つ和名として更紗の名が採られています。日本の海洋生物の和名に染織文化が反映された一例です。
分類の整理が進行中で「日本産は別種」の見解も
狭義のG. tinctoriusは紅海のタイプ個体群
本種は分類学的に整理が進行中の種になります。原記載時のタイプ産地は紅海シナイ半島南端で、そこで採集された個体が Goniobranchus tinctorius の狭義の実体です。1830年から長らく「サラサウミウシ」の名で日本産を含む太平洋の類似個体もすべて G. tinctorius として扱われてきました。
日本産は Goniobranchus sp.16 とする見解
近年の分子系統解析(ミトコンドリアCOI遺伝子等の配列比較)で、太平洋の「赤網目」個体群は紅海の狭義 G. tinctorius とは別種の複合体である可能性が示されました。世界のウミウシ図鑑(seaslug.world)ではこれを受け、日本産の個体を暫定的に Goniobranchus sp.16 として区別する扱いを採用しています。ただし国内の水中図鑑・観察報告では現在も「サラサウミウシ Goniobranchus tinctorius」の名称が広く用いられており、本稿でも慣行名称を用いつつ分類の現状を併記します。
Goniobranchus属は海綿を食べるイロウミウシ
約80種が海綿食で警告物質を蓄える
サラサウミウシは裸鰓目イロウミウシ科ゴニオブランクス属(Goniobranchus)に分類され、餌は海綿動物です。Goniobranchus属は世界に約80種以上が知られ、そのほとんどが特定の海綿を選択的に食べる種で、餌の海綿から得た化学物質を体表の外套腺(MDF)に貯蔵して警告物質として使うことが分子生物学的に確認されています。属名 Goniobranchus は「角のある鰓(gonio-+branchus)」の意で、鰓の羽枝が角ばった形をしていることに由来する属名です。長らく Chromodoris 属に含められていたグループが、2012年の Johnson & Gosliner による分子系統解析で独立し、現在の属分類に至りました。
オトヒメ・ボブサンとの見分け
同属3種の色柄比較
サラサウミウシは同属のオトヒメウミウシ・ボブサンウミウシと並ぶGoniobranchus 属日本産の代表3種になります。色柄と外套縁で識別します。
| 種名 | 体色と識別点 |
|---|---|
| サラサウミウシ G. tinctorius | 乳白地に赤〜赤褐色の細かい網目/外套縁は黄線+白帯/中型(3〜5cm) |
| オトヒメウミウシ G. kuniei | 青紫〜淡紫地に大きな紫色の斑紋(豹紋型)/外套縁は紫の縞/中型 |
| ボブサンウミウシ G. roboi | 桃色地に紫の網目と黄斑/外套縁は白+橙/中型 |
3種とも Goniobranchus 属で背中に何らかの網目・斑紋を持ちますが、地色(白/紫/桃)と外套縁の色(黄白/紫/橙)の組み合わせで区別します。

本州中部以南の温帯〜亜熱帯で普通に観察できる
サラサウミウシは日本の本州中部以南で普通に観察できる裸鰓類で、伊豆半島・房総半島・紀伊半島・四国・九州・南西諸島の岩礁で年間を通じて記録があります。ダイビングやシュノーケリング、潮間帯下部の磯観察でも見つかりやすく、日本の温帯岩礁で最も普通に記録されるイロウミウシ科の一つに数えられます。生息水深は潮間帯下部から水深20m前後まで幅広く、餌となる海綿の付着する岩肌で目撃されます。海外では太平洋・インド太平洋の熱帯域からも観察例が報告されますが、これらの個体群が狭義の G. tinctorius か、Goniobranchus sp.16 の複合種群に属するかは前述のとおり整理が進行中です。
関連

参考
- 世界のウミウシ: サラサウミウシ Goniobranchus tinctorius
- WoRMS: Goniobranchus tinctorius (Rüppell & Leuckart, 1830)
- JAMSTEC BISMaL: Goniobranchus tinctorius サラサウミウシ
- tonysharks.com(鈴木雅大): サラサウミウシ Goniobranchus sp.
- iNaturalist: Goniobranchus tinctorius


