ヤブノウサギは、ヨーロッパ大陸から中央アジアまでの農地や草原に住む大型のノウサギです。「ヨーロッパノウサギ」とも呼ばれる本種は、日本のニホンノウサギよりも一回り大きく体重3〜5kgに達します。時速70kmで走る俊足と、3〜4月の繁殖期に立ち上がって前脚で殴り合う「マーチヘア」の行動でも知られる、旧世界を代表する野ウサギです。
分類と学名
分類階層
- 界:動物界 Animalia
- 門:脊索動物門 Chordata
- 綱:哺乳綱 Mammalia
- 目:ウサギ目 Lagomorpha
- 科:ウサギ科 Leporidae
- 属:ノウサギ属 Lepus
- 種:ヤブノウサギ Lepus europaeus
和名・英名
- 和名:ヤブノウサギ(別名 ヨーロッパノウサギ)
- 英名:European hare、Brown hare
別名・学名の由来
属名 Lepus はラテン語で「ウサギ」を意味し、ノウサギ属全体に用いられます。種小名 europaeus は「ヨーロッパの」の意で、原記載された地域を示す命名です。英語での通称「Brown hare(褐色のノウサギ)」は、同属のユキウサギ(Mountain hare)が冬に白化するのに対して本種が一年を通じて褐色を保つことに由来しています。日本の生物学者による和名「ヤブノウサギ」は、藪や草地に潜む姿を映した呼び名です。
大きさ・分布などの基本データ
| 大きさ | 体長 55〜65cm、体重 3.5〜5kg(ノウサギ属の大型種) |
|---|---|
| 耳の長さ | 9.4〜11.0cm(切れ込みから先端まで) |
| 後脚の長さ | 14〜16cm |
| 体色 | 背中は黄褐色。肩・脚・首・喉が赤褐色、腹は白、尾と耳先は黒 |
| 在来分布 | ヨーロッパ大陸〜中央アジア(北緯60°まで) |
| 導入分布 | 英国/アイルランド/北米東部/南米(アルゼンチン等)/オーストラリア/ニュージーランド |
| 生息環境 | 開けた農地・牧草地・ステップ・散在する灌木林 |
| 食性 | 植物食(草本・クローバー・冬小麦・トウモロコシ・樹皮) |
| 繁殖 | 年3〜4回、1回に2〜10頭。子は早成性 |
| 走行速度 | 時速70km |
| 寿命 | 野生でおよそ4年 |
| 保全状況 | IUCN 軽度懸念(LC)/ノルウェー・ドイツ等では準絶滅危惧〜絶滅危惧に指定 |
姿と体色 ── 大型で耳の長いノウサギ

大型で長い耳
ノウサギ属のなかでの大型種

体長55〜65cm、体重3.5〜5kg。ノウサギ属のなかでは目立って大型の部類にあたる種です。日本のニホンノウサギ(1.3〜2.5kg)と比べると倍近い体格で、後脚は14〜16cmと発達し、時速70kmの俊足を支える推進力の源になっています。
耳先の黒がはっきり残る
耳の長さは9〜11cm、先端の黒色部は一年を通してくっきり残る点も特徴です。同属のユキウサギやカンジキウサギが冬に全身白化するのに対して、本種は季節による毛色変化がほぼありません。周囲の草地や耕作地の色に近い褐色地のまま暮らす通年型の保護色。白化しない代わりに、開けた農地の色調に溶け込む戦略を選んできた種です。
肩・首の赤褐色
背中の基本色は黄褐色で、肩・首・脚・喉に赤褐色の差し色が強く入ります。腹側は白く抜け、尾の上面は黒で下面は白と、走行中に上下で色が交互に見える構造です。この体色パターンから英語通称の「Brown hare(褐色のノウサギ)」が定着しました。
開けた農地の暮らし

本種は森林の内部を好まず、開けた耕地・牧草地・ステップ・散在灌木の景観に強い選好性を示します。生息密度は環境で大きく変わり、東欧のステップでは100haあたり2頭前後、温暖で農地の連続する地域では最大275頭/100haという高密度の記録もあります。藪や畑の縁に浅い窪みを掘って寝床(フォーム)を作り、そこから採食に出る日常。ヨーロッパの農業景観と共進化してきた種にあたります。
マーチヘア ── 3月のボクシング行動
立ち上がって前脚で殴り合う
春先の田園を彩る風物詩
3〜4月の繁殖期に見られる「boxing hare(ボクシングノウサギ)」または「March madness」と呼ばれる行動が本種の名物です。二頭が後脚で立ち上がり、前脚で交互に相手を殴り合う姿は英国の田園景観の風物詩として写真集などに繰り返し登場してきました。
雄同士ではなく雌が雄を試す
この行動は長らく「雄同士の縄張り争い」と誤解されてきましたが、近年の観察で「雌が交尾を求める雄を追い払う/試す」場面が多いと分かってきました。雌がまだ発情していないタイミングで交尾を迫る雄に対し、雌が立ち上がって前脚で拒絶するという解釈が現在の主流です。
『不思議の国のアリス』への影響
この時期の行動から生まれた英語慣用句が「mad as a March hare(3月のノウサギのように狂気じみた)」で、ルイス・キャロル『不思議の国のアリス』の「マッドハッター」と並んで登場するマーチヘアのキャラクター名の由来にもなっています。文学作品を通じて世界的に知られた行動でもあり、生物学的な意味と文化的な象徴の両面を持つ場面です。
食性 ── クローバーから冬小麦まで

植物食で、季節に応じて食べるものを変えます。春から夏はクローバー・トウモロコシ・イネ科の若い葉と草本の花、秋から冬は冬小麦の芽を選好して食べます。1個体の年間植物消費量はヒツジ1頭分に相当するとされ、大型の草食動物としての体格が食性のスケールにも表れる種です。冬期には樹皮を齧ることもあり、若い植栽への食害が報告される地域もあります。
繁殖 ── 早成性の子と年3〜4回の出産
妊娠期間はおよそ6週間で、雌は1シーズンに3〜4回、1回に2〜10頭の子を産みます。ノウサギ属の共通形質として子は早成性で、生まれた時点で毛がそろい目を開けており、平均体重130gと日本のノウサギ属より一回り大きなサイズです。母親は巣穴を掘らず、地表の浅い窪みで母子が離れて暮らし、授乳のたびに雌が寄ってくる典型的なノウサギ属の子育て様式です。
天敵と季節の暮らし
主要な天敵はアカギツネ・オオヤマネコ・ハイイロオオカミといった食肉目と、大型のワシ・タカ・ミミズク類の猛禽類です。ポーランドの研究では、アカギツネによる捕食が春季に成体死亡の最大50%を占める報告もあり、農地を好む本種にとって郊外のキツネ密度は個体群動態に直結する要因です。厳冬期には積雪の少ない地域を選んで移動し、食料を求めて広い範囲を行き来する姿が観察されます。
世界に広がった分布 ── 導入と侵入
スポーツ・食料目的の導入
19〜20世紀の世界拡散
19世紀から20世紀にかけて狩猟対象および食料として世界各地に導入され、現在は英国・アイルランド・北米東部・アルゼンチン・オーストラリア・ニュージーランドなど、原産地よりはるかに広い範囲に定着しています。ヨーロッパからの移民が持ち込んだケースが多く、開けた農地景観の急速な広がりも定着を助けました。
侵入種としての位置づけ
特にオーストラリアとニュージーランドでは在来生態系への影響が問題視され、農作物被害の抑制と個体数管理が現在も課題として残っている状況です。両国とも同時期に導入された家畜ウサギ(Oryctolagus cuniculus)による農業被害と並んで、ノウサギ属としての本種の分布制御が地道に続けられています。
日本には定着していない
日本には本種の導入記録は無く、野生分布もありません。日本で「野うさぎ」といえばニホンノウサギ(Lepus brachyurus)を指すのが一般的で、本種の名前は動物園やヨーロッパ関連の資料で目にする程度の存在です。北海道のエゾユキウサギ、本州のニホンノウサギと合わせて日本人が親しんできた在来のノウサギ属とは別系統の種にあたります。
減少傾向と保全 ── 農地の変化との関係

IUCNレッドリストでは軽度懸念(LC)に分類されており全体としては絶滅の危機は低い評価ですが、地域単位で見ると1960年代以降のヨーロッパ各地で個体数の減少が続いています。原因の中心は農業の集約化とされ、単作化・除草剤の使用増加・生垣(ヘッジロウ)の除去・秋播き作物への切り替え。藪や草地に依存する本種の暮らしを支える環境が、地域単位で細ってきた結果です。ノルウェー・ドイツ・オーストリア・スイスなどでは国内RLで準絶滅危惧〜絶滅危惧に指定される個体群もあります。
文化のなかのヤブノウサギ
ヨーロッパ文化のなかで本種は古代ギリシャの時代から性と豊饒の象徴として扱われ、キリスト教のイースター(復活祭)で春の到来を告げる「イースターバニー」のイメージ源にもなっています。ルイス・キャロル『不思議の国のアリス』に登場する「マーチヘア」も本種の3月の行動をモチーフにしており、英語圏の日常会話における「mad as a March hare(狂気じみた)」という慣用表現とセットで文化的存在感を持ち続けている種です。日本のアニメ作品などで登場する「ヨーロッパの野うさぎ」キャラクターの多くも本種を下敷きにしています。
関連ページ

参考
- Wikipedia (英語版)「European hare」(分類・分布・生態・文化)
- IUCN Red List: Lepus europaeus(LC評価と地域動向)
- Wikipedia日本語版「ヤブノウサギ」(和名・特徴・導入分布)
- Panek, M. & Kamieniarz, R. (1999). “Habitat and land use effects on European hare in Poland.”(キツネ捕食圧の年季節性)
画像出典
- Böhringer Friedrich, CC BY-SA 2.5, via Wikimedia Commons
- Charles J. Sharp, CC BY-SA 4.0, via Wikimedia Commons
- Hans Hillewaert, CC BY-SA 4.0, via Wikimedia Commons
- Böhringer Friedrich, CC BY-SA 2.5, via Wikimedia Commons
- Charles J. Sharp, CC BY-SA 4.0, via Wikimedia Commons
- Romzig, Public domain, via Wikimedia Commons


