ヨーロッパコウイカ

ヨーロッパコウイカの水中クローズアップ イカ・タコ類(頭足類)

ヨーロッパコウイカは、ヨーロッパで最も知られた大型コウイカです。学名 Sepia officinalis の Sepia は色の名「セピア」の語源で、内臓の墨嚢から採れる濃い茶色の顔料がその由来です。地中海・北海・バルト海の沿岸にすみ、瞬時に体色と模様を変える擬態能力と、無脊椎動物では初めて確認された「自制心」の研究対象としても注目される種です。

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分類と学名

分類階層

  • 界:動物界 Animalia
  • 門:軟体動物門 Mollusca
  • 綱:頭足綱 Cephalopoda
  • 亜綱:鞘形亜綱 Coleoidea
  • 上目:十腕形上目 Decapodiformes
  • 目:コウイカ目 Sepiida
  • 科:コウイカ科 Sepiidae
  • 属:コウイカ属 Sepia(本種はタイプ種)
  • 種:ヨーロッパコウイカ Sepia officinalis(Linnaeus, 1758)

和名・英名

  • 和名:ヨーロッパコウイカ(欧羅巴甲烏賊)
  • 英名:Common Cuttlefish
  • 日本での流通名:モンゴウイカ(トラフコウイカ・カミナリイカと同じ呼称で流通)

「セピア」色の語源となった種

属名 Sepia は古代ギリシア語で「イカ」を意味する語で、本種の内臓の墨嚢から採れる濃い茶色の顔料の名「セピア」の由来にもなっています。古代ローマの時代から印刷や絵画の顔料として使われ、19世紀の写真の茶褐色調にも同じ名が受け継がれました。本種は Linnaeus が1758年に記載したコウイカ属のタイプ種でもあり、コウイカ類の分類の基準となる存在です。

大きさ・分布などの基本データ

大きさ外套長 最大約49cm/体重 最大約4kg(亜熱帯域では30cm超えは稀)
分布ヨーロッパ全域の沿岸/地中海・北海・バルト海/北大西洋東部
生息環境水深50〜100mの砂・泥の海底/産卵期は浅場に移動
寿命約1〜2年(一部で3年程度)
食べ物硬骨魚・甲殻類・軟体動物・カイアシ類・ヒモムシなど多様
天敵アンコウ・メカジキ・大型魚・クジラ類
保全状況IUCN: LC(軽度懸念)

虎斑模様と扁平な体

外套の虎斑と広い鰭

ヨーロッパコウイカの外套膜背面には黒褐色の虎斑(ゼブラ)模様が走ります。体は左右に扁平で、外套の周りを縁取るように広い鰭が付き、前端は外套前縁を超えるほど発達しています。この鰭を波打たせて浮遊するように泳ぐ姿は、コウイカ類に特徴的な運動様式です。

ヨーロッパコウイカの水中姿
Marie Bournonville, CC BY-SA 4.0, via Wikimedia Commons

体内の「甲」が浮力調整装置

コウイカ類最大の特徴は、体内にある卵形の「甲」(英名 cuttlebone)です。表面が顆粒状の炭酸カルシウムの多孔質板で、内部の小さな気室に液体とガスの比率を調整することで、細やかな浮力コントロールを可能にします。海岸に流れ着いた白い甲を目にすることも多く、鳥かごに入れて小鳥のカルシウム源として使う伝統的な用途もあります。

触腕の吸盤配列と交接腕

触腕の先には5〜6列の吸盤が並び、中央の1列が特に大きくなります。この配置がイカ類の中でも精密な獲物の把握を可能にしています。オスの左第4腕は特殊化した「交接腕(hectocotylus)」となり、中央付近の8〜13列の吸盤が縮小して、精子袋(精莢)をメスに手渡す役割を担います。

スペイン・テネリフェ沖のヨーロッパコウイカ
Diego Delso, CC BY-SA 4.0, via Wikimedia Commons

擬態と色変えのチャンピオン

1秒に満たない模様の切り替え

ヨーロッパコウイカは頭足類のなかでもとくに優れた変色能力を持ち、体色と模様を瞬時に切り替えます。頭足類の擬態能力の研究対象として広く知られています。

皮膚の3層の色素細胞

皮膚の色素胞(chromatophore)・虹色素胞(iridophore)・白色素胞(leucophore)という3層の細胞群を組み合わせて色と反射を制御します。色素胞は微小な筋肉で袋を伸縮させ、瞬時に色の面積を変えます。虹色素胞は光の干渉で金属光沢を、白色素胞は白色反射を担い、3層の連携で複雑な色調と質感を作り出す仕組みです。

背景の質感まで再現する仕組み

ヨーロッパコウイカの擬態は色の一致にとどまらず、砂地・岩・海藻の粒感や凹凸まで模倣します。皮膚の乳頭状突起(papillae)を立ち上げて表面に凹凸を作り、平坦な砂地と粗い岩肌を使い分けます。テクスチャの制御は数百ミリ秒で完結する、頭足類の視覚系と皮膚制御の高度な連携の産物です。

Passing Cloud と警告ディスプレイ

体表を暗い縞が流れるように移動する「Passing Cloud(流雲)」という独特のディスプレイでも知られます。獲物を混乱させたり、仲間や敵に自分の存在を強調するために使われるとされます。敵を威嚇するときは腕を広げて「デイマティック・ディスプレイ」と呼ばれる目玉模様を浮かべ、体を大きく見せて追い払います。

ポルトガル・アラビダ自然公園のヨーロッパコウイカ
Diego Delso, CC BY-SA 4.0, via Wikimedia Commons

色覚は無いのに色を合わせる不思議

コウイカ類は基本的に色覚を持たない(一色型色覚)と考えられています。にもかかわらず背景の色に合わせて体色を変えられる仕組みは、皮膚の光受容体や偏光視覚など複数の仮説が提案されており、いまも研究が続けられています。色覚なしに色を合わせる機構は、頭足類研究の主要な問いの一つとされます。

認知能力と自制心

ケンブリッジ大学の自制心実験

2021年、ケンブリッジ大学の生物学者 Alexandra Schnell の研究で、ヨーロッパコウイカが「自制心」を持つことが明らかになりました。目の前に置かれた2番目に好きな餌を我慢すれば、あとで最も好きな餌がもらえるという条件で実験を行ったところ、個体によって50〜130秒ほど待つ行動が観察されました。無脊椎動物で自制心が確認されたのは、この研究が初めてです。

ヒト・カラス・チンパンジーと並ぶ位置

これまで同様の自制心はヒト・カラス・チンパンジーといった、社会性が高く長寿の動物で報告されてきました。寿命が3年ほどで社会的でもないヨーロッパコウイカでこの能力が確認されたことは、自制心の進化の背景を再検討させる発見となりました。研究者らは、社会のためではなく「効率よく餌を得るため」に進化した可能性を指摘しています。

胎児の記憶:胚で見た獲物を好む

2008年の研究では、ヨーロッパコウイカが胚(卵の中)の段階で視覚的に触れた獲物を、成長してからも好む傾向があると報告されています。ふつうカニよりエビを好むのですが、胚のときにカニを見て育った個体は、孵化後にエビよりカニを多く選ぶようになります。学習が胚の段階から始まっている高度な認知の証拠として注目されました。

暮らしと繁殖

砂地に潜んで待ち伏せる

ふだんは水深50〜100mの砂・泥の海底で暮らし、皮膚の色を砂地に溶け込ませて獲物を待ち伏せます。触腕を瞬時に伸ばしてカニ・エビ・小魚を捕らえ、大きなくちばしで殻を噛み砕きます。獲物の範囲は幅広く、硬骨魚・カイアシ類・甲殻類・軟体動物・ヒモムシまで観察されています。

浅場の産卵と1〜2年の寿命

春から夏にかけて浅場に移動し、海藻や岩の隙間に房状の卵を産みます。1〜2年の短い寿命の中で1回だけ産卵し、そのまま死亡します。孵化した幼体は数か月で急速に成長し、次の繁殖期を迎えるまでに親のサイズになります。

人との関わり

ヨーロッパの高級食材

ヨーロッパでは伝統的な食材として親しまれています。スペインの「セピア・ア・ラ・プランチャ(鉄板焼き)」、イタリアの「墨のリゾット」、フランスの「ソテー」など各国の名物料理に使われます。特に自身の墨で和えるパスタやリゾットは、独特の風味とコクを持つ地中海料理の代表格です。

ヨーロッパコウイカの姿
Magnefl, CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons

日本では「モンゴウイカ」として流通

日本の市場では単に「モンゴウイカ(紋甲烏賊)」として流通することが多く、日本近海のトラフコウイカ(Sepia pharaonis)・カミナリイカ(Sepia lycidas)と同じ呼称でまとめられています。厳密には別種ですが、業務用や加工品ではひとまとめに扱われることが一般的です。回転寿司の白いイカのネタや、輸入モンゴウイカの一夜干しなどで日本の食卓にも登場しています。

「セピア色」と顔料史

本種の墨嚢から採れる濃い茶色の顔料は「セピア色」として古代ローマの時代から絵画や筆記に使われてきました。19世紀の写真技術で焼き付けの色調に採用され、「セピア」は懐かしい茶褐色の代名詞にもなりました。イカ墨料理としての利用と併せて、ヨーロッパの文化に深く根付いた種です。

近縁のイカとの比較

コウイカ属タイプ種としての位置

ヨーロッパコウイカはコウイカ属 Sepia のタイプ種で、分類の基準として世界中の研究者に参照されています。分子系統の研究では、東アジアのコウイカ(Sepia esculenta)やコブシメ(Sepia latimanus)とは近縁ではなく、むしろ日本近海のシリヤケイカ(Sepiella japonica)に近いと分かってきました。

日本のコウイカ(S. esculenta)との違い

日本近海のコウイカ(Sepia esculenta)は同じ属ですが、体長は最大20cm前後とやや小型で、寿司ネタとして高級な扱いを受けます。ヨーロッパコウイカと比べると胴の縞模様は薄めで、日本市場では単に「コウイカ」と呼ばれます。分子系統ではヨーロッパコウイカとは属内で系統的に離れた別グループとされます。

コブシメ(S. latimanus)との違い

沖縄のダイビングで人気のコブシメ(Sepia latimanus)はコウイカ属で最大級の種で、体長50cm・体重10kgに達します。ヨーロッパコウイカと外形はよく似ますが、より熱帯の海を好みます。同じ属内の別グループで、分子系統ではやはり遠い関係とされます。

トラフコウイカ・カミナリイカとの流通名混同

日本の市場ではヨーロッパコウイカ・トラフコウイカ・カミナリイカがまとめて「モンゴウイカ」と呼ばれ、店頭ではどれを指しているか分かりにくいのが実情です。厳密には別種ですが、料理素材としての性質は近く、消費者向けの表示では混同されがちです。

シリヤケイカとの近縁関係

ヨーロッパコウイカと最も近縁とされるのが、日本近海のシリヤケイカ(Sepiella japonica)です。属は異なるものの、分子系統の研究で系統的な近さが判明しました。同属のコウイカやコブシメより、遠い日本のシリヤケイカのほうが系統的に近いという結果は、外見の類似が必ずしも系統関係を反映しないことを示しています。

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