カロライナインコ

カロライナインコ Conuropsis carolinensis(J. J. Audubon「The Birds of America」より) 鳥類

カロライナインコは、かつて北米東部の森を群れで舞っていた鮮やかな緑・黄・赤のインコです。北米大陸で唯一の在来インコで、雪の積もる冬でも群れで越冬する「もっとも北に暮らしたオウム目」でもありました。しかし森林伐採と帽子の羽飾り需要、そして仲間の死骸に集まる独特の習性が仇となり、20世紀初頭に激減しました。1918年2月21日、シンシナティ動物園でオスの「インカス」が死んだのを最後に、この種は地上から消えたと数えられています。同じ動物園で1914年に最後のリョコウバト「マーサ」が死んだ4年後の出来事です。

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  1. 分類と学名
    1. 分類階層
    2. 和名・英名・亜種
    3. 属名 Conuropsis の由来
  2. 大きさ・分布などの基本データ
  3. 姿と大きさ
    1. 雌雄と成鳥・幼鳥の見分け
      1. ほぼ雌雄同色
      2. 幼鳥は「全身緑」
  4. かつての分布と生息地
    1. 大河沿いの古い落葉樹林
      1. サイカモアとイトスギの樹洞
      2. 2つの亜種
  5. 食性 — オナモミの毒と農家の敵視
    1. 他の動物には有毒なオナモミを主食にした
      1. 「猫が死ぬ」記録
      2. 2020年の全ゲノム解析
    2. 果樹園での「害鳥」評価
      1. 群れで押し寄せて実を落とす
  6. 群れの暮らしと「flocking response」
    1. 絶滅の引き金になった行動
      1. 撃たれた仲間の周りに集まる本能
      2. 共同繁殖と長い番
  7. 骨格の特徴
    1. くちばしと足のつくり
      1. 厚く曲がった上嘴と対趾足
      2. 短い翼と長い尾
  8. 発見史 — リンネからオーデュボンへ
    1. 1758年 リンネの命名から19世紀の観察へ
      1. 1758年 Psittacus carolinensis
      2. 1832年 オーデュボンによる観察と警鐘
      3. 1891年 Salvadori の属新設
  9. 絶滅への道 — 森林伐採・帽子・家禽疾患
    1. 複合した絶滅要因
      1. 大木の樹洞を失った
      2. 帽子の羽飾りとしての需要
      3. flocking response による大量殺戮
      4. 家禽から入った病気の可能性
  10. 「インカス」の1918年、マーサとの並列
    1. 1918年2月21日、シンシナティ動物園
      1. 雌ラディが1917年に、雄インカスが1918年に
      2. マーサと同じ動物園での並列
    2. 絶滅認定後の目撃報告
      1. 1937年オケフェノキー、1938年サンティー川
      2. 脱絶滅(de-extinction)をめぐる議論
  11. 関連ページ
  12. 参考
  13. 画像出典

分類と学名

分類階層

  • 界:動物界 Animalia
  • 門:脊索動物門 Chordata
  • 綱:鳥綱 Aves
  • 目:オウム目 Psittaciformes
  • 科:インコ科 Psittacidae
  • 族:新世界インコ族 Arini
  • 属:カロライナインコ属 †Conuropsis
  • 種:カロライナインコ †Conuropsis carolinensis(Linnaeus, 1758)

和名・英名・亜種

  • 和名:カロライナインコ
  • 英名:Carolina parakeet
  • 亜種:C. c. carolinensis(東部亜種)・C. c. ludovicianus(ルイジアナ/大平原亜種)— アパラチア山脈で分断

属名 Conuropsis の由来

属名 Conuropsis は南米のインコ「Conure(コヌレ・現在はキアイインコ属 Aratinga 系)」とギリシア語 opsis(「〜に似た」)を組み合わせた造語で、「コヌレに似た者」の意味です。1758年にリンネが Psittacus carolinensis として原記載した後、1891年にイタリアの鳥類学者トマソ・サルバドリが本属を新設して独立させました。分子系統学的には、現生の最近縁は南米のナンデイインコ・サンコニュア・キンガシラナナクサインコなど Aratinga 属の一群と推定されています。

大きさ・分布などの基本データ

大きさ全長 約30〜33cm/翼開長 約53〜58cm/体重 約100g前後
かつての分布米国東部を中心に少なくとも28州(南はメキシコ湾岸〜北はニューヨーク/ウィスコンシン、西はコロラド東部)
生息環境大河沿いの古い落葉樹林・湿地・沼沢地(サイカモアやイトスギの大木の樹洞)
食性種子(オナモミ・イトスギ・ブナ・カエデ・オーク)・果実(リンゴ・ブドウ)・花芽・少量の昆虫
群れの規模典型的に200〜300羽の大群
最後の野生個体1904年 フロリダ州オキーチョビー郡で射殺
最後の飼育個体1918年2月21日 シンシナティ動物園でオスの「インカス(Incas)」が死亡
保全状況絶滅(Extinct)/IUCN Red List EX(1920年〜)/米国鳥類学会が正式に絶滅認定 1939年

姿と大きさ

カロライナインコは全長 約30〜33cm・体重 約100gの中型インコで、日本のセキセイインコ(体重約35g)の2倍強、コザクラインコ(同 約50g)よりもひとまわり大きな部類です。もっとも目を引くのはその羽色で、体全体は鮮やかな緑・頭は明るい黄・顔と額はオレンジから赤へと変わるグラデーションを見せます。肩と翼の外縁も黄色く縁取られ、飛翔中は緑と黄の閃光のように見えました。

カロライナインコの剥製(フィールド自然史博物館・シカゴ)
剥製標本(フィールド自然史博物館・シカゴ)

雌雄と成鳥・幼鳥の見分け

ほぼ雌雄同色

雌雄の羽色差はきわめて小さく、雄が雌よりわずかに大型である程度でした。オウム目には派手な性差を示す種が多いなかで、カロライナインコは雌雄がほぼ同じ色合いで見分けが難しい種類です。標本や剥製の性別判定は骨格や採集記録に頼るしかなく、当時の記録には性別欄が空白のものが多く残ります。

幼鳥は「全身緑」

幼鳥は全身がほぼ緑一色で、頭部の黄色や顔のオレンジは目立たず、翼の黄縁も出そろっていません。成鳥の姿になるのはおおむね1歳過ぎで、この間は「緑のインコ」として親鳥と行動をともにしました。若い個体の姿は成鳥とかなり印象が違うため、初期の博物学者たちはしばしば別種と勘違いしています。

かつての分布と生息地

この鳥のかつての分布は、北米東部の少なくとも28州に及びました。ミシシッピ川流域を中心に、南はメキシコ湾岸から北はニューヨーク州・ウィスコンシン州、西はコロラド東部まで達しています。「もっとも北に暮らしたオウム目」とされ、雪の積もる冬でも群れで越冬したことが記録に残ります。

カロライナインコのかつての分布域(歴史的レンジ図)
かつての分布域(19世紀ごろの推定範囲)

大河沿いの古い落葉樹林

サイカモアとイトスギの樹洞

好んだ環境は、大河沿いの古い落葉樹林と湿地でした。とくにサイカモア(プラタナスの一種)とヌマスギ(イトスギ)の大木にできる樹洞を、集団のねぐらと巣穴に選びます。数十羽のカロライナインコが1本の樹洞に折り重なって眠る様子は、初期の観察者の記録にたびたび登場します。

2つの亜種

分布のなかで、アパラチア山脈を境に東部亜種 C. c. carolinensis と、ルイジアナ/大平原亜種 C. c. ludovicianus の2亜種が区別されてきました。後者はやや青みが強い緑を持つとされ、ミシシッピ川以西・大平原の縁までの分布を担いました。ただし両亜種の差は微妙で、標本によっては判別がつかないものもあります。

食性 — オナモミの毒と農家の敵視

食性は森の樹木の種子と果実が中心でした。イトスギ・ブナ・カエデ・オーク・ニレ・マツなどの種を器用に殻を割って食べ、季節によっては野生のブドウやリンゴも口にします。人が果樹園を作るとそこに大群で現れて食害を出したため、農家からは強烈に嫌われる存在になりました。

カロライナインコの剥製(ヴィースバーデン博物館)
剥製標本(ヴィースバーデン博物館・ドイツ)

他の動物には有毒なオナモミを主食にした

「猫が死ぬ」記録

もっとも際立った食性は、オナモミ(cocklebur・Xanthium 属)の種子への強い嗜好でした。オナモミの種にはカルボキシアトラクチロシドという有毒配糖体が含まれ、家畜や小動物にとっては致命的な毒です。ジョン・J・オーデュボンは、カロライナインコを食べた猫がそのあと死んだと書き残しており、この鳥は毒物を体内に取り込んで自分自身を「食べれば危険な鳥」に変えていた可能性が指摘されています。

2020年の全ゲノム解析

2020年に Current Biology 誌で報告された全ゲノム解析では、保存標本のDNAが徹底的に読まれ、有毒種子への耐性に関わる遺伝子群が特定されました。カロライナインコは有毒な餌をあえて食べる方向へ進化し、その代わり他種が奪えないニッチを独占していた可能性がゲノム上の痕跡として残っていることが分かっています。

果樹園での「害鳥」評価

群れで押し寄せて実を落とす

18世紀以降の入植でリンゴやモモの果樹園が広がると・カロライナインコの群れは容易にそこを見つけ・種子を狙って実を齧り、多くを地面に落としました。実際に食べる量以上に「加害」した見た目のため、農家は組織的に射殺を続けます。銃・毒餌・巣ごとの伐倒など、あらゆる駆除手段が使われました。

群れの暮らしと「flocking response」

カロライナインコは典型的に200〜300羽の大群で生活し、朝は集団で採食に出て、夕方に樹洞のねぐらへ戻る規則正しい暮らしをしていました。派手な緑と黄の翼で群れて飛ぶ姿は、当時の博物学者の記録では「木々の間を走る緑の川」と形容されるほどです。

カロライナインコ 別プレート(Audubon 1863年版)
群れの様子を描いた別プレート(Audubon 1863年版より)

絶滅の引き金になった行動

撃たれた仲間の周りに集まる本能

群れの結束が高いことは平時の生存には有利でしたが、狩人の前ではその結束がそのまま弱点になりました。カロライナインコには「flocking response」と呼ばれる強い習性があり、撃たれて落ちた仲間の上を、生きている個体が旋回しつづけて離れようとしません。狩人はその輪に何度も銃を撃ち込むだけで、群れをまるごと壊滅させることができました。この行動は個体単位の危険察知よりも仲間との絆を優先する社会性の産物ですが、銃という新しい捕食圧に対しては致命的でした。

共同繁殖と長い番

繁殖では、1つの樹洞に複数の雌が卵を産みつける共同営巣が観察されており、同じくオウム目のオキナインコに似た習性を持っていました。雌は1回に2〜5個(多くは2個)の白い卵を産み、雛は雌雄で育てます。シンシナティ動物園の1つがいは35年以上にわたって連れ添って暮らした記録があり、番の絆が非常に強い鳥でした。

骨格の特徴

骨格は他のインコと同様に、器用な採食と樹上生活に特化した形をしています。19世紀ドイツの博物学者アドルフ・B・マイヤーが編纂した鳥類骨格図譜には、カロライナインコの骨格が精密に描き残されました。

カロライナインコの骨格(Meyer 図譜より)
骨格図(Adolf Bernhard Meyer による19世紀の鳥類骨格図譜より)

くちばしと足のつくり

厚く曲がった上嘴と対趾足

くちばしは短く太く、上嘴が下嘴を大きく覆う典型的なインコ型です。硬いオナモミやオークの種子を割るために、頑丈な咀嚼筋が付く広い頭骨と、上嘴を独立して動かせる可動性が発達していました。足は2本の指が前・2本が後ろを向く対趾足で、種子をつかんで口元に運ぶ「手」のような使い方ができます。

短い翼と長い尾

翼は本体に比べて相対的に短く、長い尾を舵に使って森の枝の間を素早く縫うのに適しています。オウム類共通の飛翔スタイルで、開けた空間よりも樹木の入り組んだ環境に強い設計です。長距離の渡りはせず、季節による移動もかぎられた範囲内にとどまっていたと考えられています。

発見史 — リンネからオーデュボンへ

本種は近代分類学の始まりとほぼ同時に学問の対象になりました。カロライナから欧州へ運ばれた標本を、リンネ自身が『自然の体系』第10版で命名しています。

カロライナインコ剥製オス(ラヴァル大学)
剥製標本のオス(カナダ・ラヴァル大学)

1758年 リンネの命名から19世紀の観察へ

1758年 Psittacus carolinensis

1758年、カール・フォン・リンネは『Systema Naturae』第10版で本種を Psittacus carolinensis として原記載しました。種小名 carolinensis はタイプ標本の産地カロライナ(現ノースカロライナ/サウスカロライナ)に由来します。当時のヨーロッパ人にとって、雪の降る北米の森を舞うインコの存在は驚きであり、標本と絵はヨーロッパの博物館・図譜に次々と収蔵されていきました。

1832年 オーデュボンによる観察と警鐘

米国の博物学者ジョン・J・オーデュボンは、代表作『The Birds of America』の Plate 26 に躍動感のあるカロライナインコの群れを描きました。同時に彼は1832年の記述で、この鳥の数がすでに急速に減少していることを警告しています。オーデュボンが描いた「木々に絡む何羽もの緑と黄」の姿は、当時の読者にとって身近な光景だっただけに、その後の消失はより印象的な形で語り継がれることになりました。

1891年 Salvadori の属新設

1891年、イタリアの鳥類学者トマソ・サルバドリは、本種を他のインコと明確に区別するために Conuropsis 属を新設しました。「コヌレに似た者」の意味で、南米の Conure(現 Aratinga 系)との系統的な近さを示す名づけです。この属の設立以降、本種は Conuropsis carolinensis として扱われ、現行の学名につながっています。

絶滅への道 — 森林伐採・帽子・家禽疾患

19世紀後半、この鳥は複数の要因が重なる形で急速に減少していきました。単一の原因ではなく、次の要素が同時期に襲いかかったと考えられています。

カロライナインコ標本(ナチュラリス生物多様性センター)
標本(オランダ・ナチュラリス生物多様性センター)

複合した絶滅要因

大木の樹洞を失った

本種の集団ねぐらと巣穴は、樹齢の高いサイカモアやヌマスギの樹洞に依存していました。米国東部の伐採で古い大木が姿を消したため、繁殖に必要な樹洞そのものが激減します。ヨーロッパから持ち込まれたセイヨウミツバチが残った樹洞を占拠する競合も報告されました。

帽子の羽飾りとしての需要

19世紀後半、女性の帽子に鳥の羽や剥製をあしらう装飾が世界的に流行し、鮮やかな色を持つ本種の羽は市場で高値で取引されました。羽飾り需要のために撃たれた鳥の総数は正確に分かっていないものの、他の羽飾り需要種(雪サギ・オオウミガラス・リョコウバトなど)と同様に致命的な圧力になったと考えられています。

flocking response による大量殺戮

先に触れた「撃たれた仲間の周りに集まる」習性は、駆除する側から見れば理想的な条件でした。1発の銃声で群れを離散させずに全滅させられるため、農家からも羽飾り業者からも「効率よく獲れる鳥」と見なされます。この行動が仇となって数が減った、と当時からすでに認識されていました。

家禽から入った病気の可能性

米国の鳥類学者ノエル・F・スナイダーは、最終段階の急激な個体数崩壊について「養鶏由来の伝染病が最後の一撃になった」とする仮説を提示しています。ただし新世界のインコが家禽の病原体にさらされた明確な記録はなく、あくまで仮説の域を出ません。ニューカッスル病はそもそも1926年にインドネシアで初めて記載された病気で、時期的にも直接の説明にはなりにくいとされます。

「インカス」の1918年、マーサとの並列

1904年、フロリダ州オキーチョビー郡で射殺された個体が、公式に確認された最後の野生カロライナインコとなりました。以後の目撃報告は多数あるものの、確度の高いものはありません。飼育下では、最後のつがいがオハイオ州のシンシナティ動物園で長寿を全うしました。

1918年2月21日、シンシナティ動物園

雌ラディが1917年に、雄インカスが1918年に

シンシナティ動物園の最後の1つがいは、35年以上も同じ檻で暮らした番でした。雌の「レディ・ジェーン」が1917年夏に死に、翌1918年2月21日には雄の「インカス」が同じ檻の中で息を引き取ります。インカスの死をもって、種としてのカロライナインコは正式に地上から消えたと数えられるようになりました。

マーサと同じ動物園での並列

この結末をより印象深いものにしているのが、リョコウバトとの並列です。地球上最後のリョコウバト「マーサ」も、同じシンシナティ動物園の同じ建物内の檻で1914年9月1日に息を引き取っています。マーサの4年後・同じ場所で最後のカロライナインコも死んだ——この動物園は、アメリカが20世紀に入って20年足らずで2種の「群れる鳥の代表」を続けて失ったことを象徴的に記録しています。

絶滅認定後の目撃報告

1937年オケフェノキー、1938年サンティー川

絶滅後も目撃報告は続きました。1937年にジョージア州オケフェノキー湿地で3羽が映像撮影されましたが、これは飼育下からの脱走個体だった可能性が高いとされています。1938年にはサウスカロライナ州サンティー川流域の湿地で、経験ある鳥類学者による観察が報告されましたが、その後の確認調査で存続の証拠は得られませんでした。米国鳥類学会は1939年に正式に絶滅を宣告しています。

脱絶滅(de-extinction)をめぐる議論

2020年の全ゲノム解析で保存標本のDNAが読まれたことで、理論上は近縁のナンデイインコを土台にした「脱絶滅(de-extinction)」の議論が現実味を帯び始めています。ただしフクロオオカミやリョコウバトと同じく・生きた飼育下個体が残っていないうえ、当時の生態環境(樹洞に富む古い落葉樹林・オナモミの群落・数百羽の群れ)も失われており・仮に個体を再生できても野生復帰は容易ではないと指摘されています。倫理的にも生態学的にも、答えは開いたまま残されている論点です。

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参考

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