スローロリスは、東南アジアの熱帯雨林に暮らす体重270〜2,100gの夜行性のサルです。学名は Nycticebus 属で、スンダスローロリス(Nycticebus coucang)・ジャワスローロリス(Nycticebus javanicus)・ベンガルスローロリス(Nycticebus bengalensis)などいくつかの近縁種が含まれます。大きな丸い目・ゆっくりとした動き・密生した短い毛並みが印象的な、原始的な霊長類のグループです。
本種の大きな特徴は、哺乳類として極めて珍しい「毒」を持つことです。腕の腺から出る分泌液を口で唾液と混ぜ、噛みつくことで毒として使います。かわいい姿の裏で違法なペット取引による個体数減少が深刻化し、全種が絶滅危惧種に指定されている状況にもあります。
分類と学名
分類階層
- 界:動物界 Animalia
- 門:脊索動物門 Chordata
- 綱:哺乳綱 Mammalia
- 目:サル目 Primates(霊長目)
- 亜目:曲鼻猿亜目 Strepsirrhini(原始的な霊長類グループ)
- 下目:ロリス下目 Lorisiformes
- 科:ロリス科 Lorisidae
- 属:スローロリス属 Nycticebus(近年の分類でピグミー種は Xanthonycticebus 属に分離)
- 代表種:スンダスローロリス Nycticebus coucang 他
和名・英名・別名
- 和名:スローロリス(スローロリス属の総称)
- 別名:ノンビリザル/夜猿(古称)
- 英名:Slow Loris
- マレー語名:Kongkang/Kera Duku
- インドネシア語名:Kukang
Nycticebus属の主な種
8種認識される多様性
スローロリスは2010年代以降の分類研究で、現在おおむね8種が認識されています。かつては1〜2種でまとめられていた時代から、遺伝子解析と形態解析の進展で複数種に細分されました。
- スンダスローロリス(Nycticebus coucang):マレー半島・スマトラ島
- ジャワスローロリス(Nycticebus javanicus):インドネシア・ジャワ島固有・絶滅危惧IA類(CR)
- ベンガルスローロリス(Nycticebus bengalensis):バングラデシュ〜東南アジア大陸部
- フィリピンスローロリス(Nycticebus menagensis):ボルネオ島北部・スールー諸島
- バンカスローロリス(Nycticebus bancanus):バンカ島・カリマンタン西部
- カヤンスローロリス(Nycticebus kayan):カリマンタン中部
- ボルネオスローロリス(Nycticebus borneanus):ボルネオ島西部
- ピグミースローロリス(Xanthonycticebus pygmaeus):ベトナム・ラオス・カンボジア・中国雲南/2022年に独立属へ分離
名前の由来
- 属名 Nycticebus:ギリシャ語の “nyktos(夜)+kebos(サル)” に由来する属名で、「夜のサル」の意味。夜行性の生態を表しています。
- 種小名 coucang:マレー語での本種の呼び名「Kukang」を元にした種名です。
- 英名「Slow Loris」:「ゆっくりしたロリス」の意味。「Loris」はオランダ語の “loeris(間抜けな)” に由来するとされ、ゆっくりした動作の印象からついた総称です。
大きさ・生息などの基本データ
| 大きさ | 頭胴長:19〜38cm(種による)/尾長:極めて短い(1〜3cm程度)/体重:ピグミースローロリス270〜510g・ベンガルスローロリス最大2,100g/種により2〜3倍の体格差 |
|---|---|
| 体色 | 全身:淡褐色〜黄褐色〜灰褐色(種により幅広い変異)/背中の中央に暗い縦線(明瞭または不明瞭)/顔:淡い色に大きな目を囲む暗色マスク/腹側:明るい色 |
| 身体特徴 | 大きな前向きの目(暗視適応)/退化した尾(他の霊長類の把握尾と対照的)/短くずんぐりした四肢/手足で枝を強く握る「万力握り」/人差し指が退化した特殊な手 |
| 毒 | 肘の内側の「腕腺」から分泌液/唾液と混ざると毒として活性化/防御時の咬みつきで注入/人への刺傷でアナフィラキシー症例あり/哺乳類として非常に珍しい毒性 |
| 分布 | 南アジア〜東南アジアの熱帯・亜熱帯(インド北東部・バングラデシュ・ミャンマー・タイ・ベトナム・ラオス・カンボジア・マレー半島・スマトラ島・ジャワ島・ボルネオ島) |
| 生息環境 | 熱帯常緑樹林・二次林・竹林・農地周辺の樹木/地上5〜20mの樹上/夜は活動的・昼は樹洞や葉の茂みで休息 |
| 食性 | 雑食性/樹脂・花蜜・果実(約半分)/昆虫・小型脊椎動物・鳥の卵(約半分)/樹皮を齧って樹液を得る採食も多い |
| 繁殖 | 妊娠期間:約190日/通常1頭出産(時に双子)/授乳期間:約6か月/性成熟:約1.5〜2年/年に1回の繁殖 |
| 寿命 | 野生:推定10〜15年/飼育下:20〜25年 |
| 保全状況 | 全種がIUCN絶滅危惧種に指定/ジャワスローロリスは絶滅危惧IA類(CR)/他種はEN or VU/CITES附属書I(2007年〜) |

毒を持つ霊長類
哺乳類として珍しい毒性
肘の腺で毒を作る
スローロリスは、現生哺乳類の中で毒を持つごく少数の種のひとつです。肘の内側にある「腕腺」から皮膚分泌液を出し、これを口で舐めて唾液と混ぜることで毒として活性化させます。この毒液が、防御時の咬みつきによって相手の体内に入る仕組みです。哺乳類で毒を持つ種はカモノハシ・トガリネズミ・ソレノドンなどごくわずか。霊長類では本種が唯一の存在です。
ネコアレルゲンと似た成分
スローロリスの毒液の主成分は、遺伝的にネコ科動物のアレルゲンタンパク質(Fel d 1)と似た構造だと分子解析で判明しています。この類似性が、人がネコアレルギーを持つ場合と似た免疫反応を引き起こす可能性があると考えられています。実際に本種に咬まれた人がアナフィラキシーショックで死亡した症例もあり、単なる痛みで済まない危険を伴う毒です。
毒の役割
防御と個体間闘争
スローロリスの毒は、天敵(ワシタカ類・ヘビ・ネコ科動物)からの防御と、同種内での縄張り争い・繁殖競争に使われます。野生スローロリスの体表には個体間の咬み傷が頻繁に観察され、深い咬傷が化膿して命を落とすケースもあります。仲間同士で毒を使うのは、霊長類全体で本種のみに見られる特殊な進化です。
子供に塗る「毒コーティング」
母親のスローロリスが、子供の毛に毒液を塗る行動も観察されています。自分の腕腺分泌物を子供に塗り込み、天敵に噛まれたときに相手が不快感を覚えるようにする間接的な防御です。この行動は世界の哺乳類学でも珍しく、スローロリスの毒の多面的な役割を示す興味深い例として研究されています。

「ゆっくり」の生物学
低い代謝と持久力
他のサルより代謝が低い
スローロリスの基礎代謝率は、同じくらいの体重の他の霊長類(マーモセット・キツネザル)より約40〜60%低い水準です。この低代謝が「ゆっくり」動作の生物学的な基盤で、少ないエネルギーで長時間の活動を可能にします。動物界のゆっくり系の代表格ナマケモノとは系統的に無関係ですが、似た省エネ戦略に落ち着いた例といえます。
枝を離さない「万力握り」
ゆっくり動く代わりに、スローロリスの手足は枝を長時間握り続ける力に特化しています。手足の血管には特殊な網目構造(rete mirabile)があり、長く握っていても筋肉に乳酸が溜まりにくい仕組みを持ちます。枝から落ちるリスクが極めて低く、樹上でのんびり暮らすことを支える能力です。
大きな目と暗視
夜を見るための目
スローロリスの大きな前向きの目は、夜行性の暗い環境で獲物を見つけるための暗視機能に特化しています。網膜の背面には「輝板(tapetum lucidum)」と呼ばれる反射層があり、微弱な光を網膜に二度当てることで暗視能力を高めます。夜間にライトを当てると目が赤く光る、あの現象がこの輝板による反射です。他のロリス類(ポトー・アンワンティボ・ロリス)と共通する、原始的な霊長類の暗視適応です。

違法ペット取引という災難
SNS動画が需要を爆発させた
「くすぐられて両手を上げる」の誤解
2000年代後半、YouTubeやInstagramで拡散した「かわいい動画」が、本種の違法ペット取引を爆発的に拡大させました。人が本種の腋の下をくすぐると両手を上げる映像は、「幸せそう」に見えます。しかし実際には威嚇姿勢の一種。両腕を上げるのは腕腺の分泌物を口で舐め取り、毒液を準備するための防御反応です。「かわいい」と誤解された動画によって世界中でペット需要が急増し、東南アジアからの密輸が組織化されました。
密輸過程で歯を抜かれる
ペット取引に回されるスローロリスの多くは、密輸過程で歯を根元から抜かれます。毒咬みを防ぐためのこの処置は、麻酔なしで行われることが多く、抜歯後の感染症・栄養不良で捕獲個体の推定90%以上が輸送中や飼育開始後まもなく死亡するとされます。生き延びた個体も歯を失ったため野生復帰は事実上不可能となり、保護施設で一生を終える例が多く報告されています。
CITES附属書Iへの格上げ
2007年、国際商業取引の全面禁止
ペット需要の急拡大を受けて、CITES(ワシントン条約)は2007年にスローロリス属全種を附属書I(国際商業取引の全面禁止)に格上げしました。国際的な商業取引は原則禁止となり、違反した密輸業者への刑事罰も強化されました。しかし東南アジア域内の国内市場や無許可の越境取引は完全には抑えられておらず、ジャワスローロリスは絶滅危惧IA類(CR)に指定されるほど個体数が減少しています。
SNS各社の対応
Instagram・YouTube・TikTokなどのSNS各社は、動物福祉団体と連携して野生動物のペット化を助長するコンテンツへの対応を進めています。Instagramでは絶滅危惧種のペット動画を検索した際に警告メッセージを表示する機能を導入するなど、需要そのものを抑える取り組みも続いています。しかし完全な抑制には至っておらず、消費者側の意識向上と保全教育の継続が課題です。
日本の状況
日本国内でも過去にスローロリスの個人飼育例が報告され、密輸を経由した個体が流通した事例があります。CITES附属書I掲載後は輸入が禁止されており、現在は動物園や保護施設に限定される形での飼育となっています。上野動物園・多摩動物公園・日本平動物園などが本種の飼育を担い、公開展示を通じて種の保全と教育の場を提供しています。

ピグミー種の独立属化
Xanthonycticebus属の分離
2022年の分類変更
ピグミースローロリスは長らく Nycticebus pygmaeus として他のスローロリスと同じ属に分類されていました。しかし2022年の分子系統学的研究により、独立した Xanthonycticebus 属に分離されました。ピグミー種は他のスローロリスと約1,100万年前に分岐したと推定され、遺伝的に十分な差があると認識されたためです。現在の学名は Xanthonycticebus pygmaeus となります。
2種構成に
さらに2023年の研究では、ピグミースローロリスも南北の集団で遺伝的に異なることが判明。南部個体群を Xanthonycticebus intermedius として別種扱いする議論が続いています。この2種化はまだ全学界で統一されておらず、当面は Xanthonycticebus pygmaeus を含む複数系統として理解される状況です。

ロリス科と近縁種
ロリス科の他属
ロリス科(Lorisidae)は、アジアとアフリカに分布する原始的な霊長類のグループです。スローロリスと同じ「ゆっくり動く」樹上型が中心で、種による特色が豊富です。
| 学名 | 和名/英名 | 分布・特徴 |
|---|---|---|
| Nycticebus coucang | スンダスローロリス(本種)/Sunda Slow Loris | マレー半島・スマトラ島 |
| Nycticebus javanicus | ジャワスローロリス/Javan Slow Loris | ジャワ島固有・CR(IUCN絶滅危惧IA類) |
| Xanthonycticebus pygmaeus | ピグミースローロリス/Pygmy Slow Loris | ベトナム・ラオス・カンボジア・独立属 |
| Loris tardigradus | アカスリムロリス/Red Slender Loris | スリランカ・細長い体型・EN |
| Perodicticus potto | ポトー/Potto | アフリカ中部・スローロリス類似・LC |
ガラゴ類との系統関係
ロリス科は姉妹群としてガラゴ科(Galagidae・アフリカ)を持ち、両科合わせてロリス下目を構成します。ガラゴ類は本種と対照的に樹から樹へジャンプで移動する俊敏な仲間で、同じ原始的霊長類グループの中で「ゆっくり動く型」と「素早く動く型」の対照的な進化を示す例となっています。

保全と救護活動
Kukang Rescue Programなどの取り組み
スローロリスの保全にあたっては、現地のNGOと国際協力が中核的な役割を担っています。インドネシアのスマトラ島で活動する「The Kukang Rescue Program」(本記事にも夜間モニタリングの写真を提供している団体)は、押収されたペット個体の救護・野生復帰・生息地保護・住民啓発を統合的に進めています。ジャワ島の「Little Fireface Project」もジャワスローロリスの野生研究と保全を長期継続する代表的な団体です。
野生復帰の難しさ
密輸個体の救護後の野生復帰には、大きな困難が伴います。歯を抜かれた個体は毒咬みができず野生では生存できず、樹皮を齧って樹脂を得る採食も不可能となります。長期飼育で野生行動を失った個体も再野生化の成功率が低く、多くの救護個体は保護施設で終生飼育される形となります。この現実は「かわいいペット」化の代償の大きさを示す事例として、保全教育の重要な題材となっています。
関連









参考
- Wikipedia日本語版: スローロリス
- IUCN Red List: Nycticebus coucang (EN)
- IUCN Red List: Nycticebus javanicus (CR)
- CITES: Nycticebus属 附属書I
- The Kukang Rescue Program
- Little Fireface Project(ジャワスローロリス研究)
画像出典
- Aprisonsan, CC BY-SA 4.0, via Wikimedia Commons(アイキャッチ・ジャワスローロリス)
- David Haring / Duke Lemur Center, CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons(スンダスローロリス)
- David Haring / Duke Lemur Center, CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons(ピグミースローロリス)
- Gunay M.E., CC BY-SA 4.0, via Wikimedia Commons(バンカスローロリス)
- Wich’yanan L, CC BY 4.0, via Wikimedia Commons(タイ)
- The Kukang Rescue Program, CC BY-SA 4.0, via Wikimedia Commons(夜間モニタリング)
- Blair et al. (2023), CC BY-SA 4.0, via Wikimedia Commons(Xanthonycticebus intermedius)


