マントヒヒ

マントヒヒ・成獣オスの銀白マント 哺乳類

マントヒヒは、アフリカ北東部からアラビア半島南部の乾燥地帯に暮らす体長60〜80cmの中型のサルです。学名は Papio hamadryas。銀白色のマントのような長毛を肩から背中にまとうオスの姿が最大の特徴で、他のヒヒとひと目で見分けられます。

古代エジプトでは知恵の神トートの化身として神殿で神聖視され、ミイラにされて墓に納められた歴史も持ちます。現在は動物園で最もよく見られるヒヒの1種として親しまれ、階層的な社会構造や1頭のオスが複数のメスを従える家族群など、独特の暮らしぶりで研究対象にもなっています。

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分類と学名

分類階層

  • 界:動物界 Animalia
  • 門:脊索動物門 Chordata
  • 綱:哺乳綱 Mammalia
  • 目:サル目 Primates(霊長目)
  • 亜目:直鼻猿亜目 Haplorhini
  • 下目:真猿下目 Simiiformes
  • 科:オナガザル科 Cercopithecidae
  • 亜科:オナガザル亜科 Cercopithecinae
  • 属:ヒヒ属 Papio
  • 種:マントヒヒ Papio hamadryas

和名・英名・別名

  • 和名:マントヒヒ(マント狒々)
  • 別名:ハマドリアスヒヒ/セイクレッドバブーン(聖なるヒヒ)
  • 英名:Hamadryas Baboon/Sacred Baboon
  • ドイツ語名:Mantelpavian(マントヒヒの意味)
  • アラビア語名:رباح مقدس(神聖なヒヒ)

名前の由来

  • 和名「マントヒヒ」:オスの肩から背中にかけて広がる銀白色の長毛が、まるで王侯のマントを羽織っているように見えることに由来します。
  • 種小名 hamadryas:ギリシャ神話の樹木の精「ハマドリアス(Hamadryad)」に由来するとされる種名です。
  • 英名「Sacred Baboon(聖なるヒヒ)」:古代エジプトで知恵の神トートの化身として神殿で神聖視された歴史に由来する呼び名です。
  • 属名 Papio:中世ラテン語で「ヒヒ」を意味する語。フランス語 “babouin”、英語 “baboon” と同根とされます。

大きさ・生息などの基本データ

大きさ頭胴長:オス70〜80cm・メス50〜65cm/尾長:40〜60cm/体重:オス20〜30kg・メス10〜15kg/オスがメスの約2倍と顕著な性的二型
体色オス:銀白色〜灰白色のマント状の長毛(肩・首・背中)/メス・幼獣:茶褐色〜暗褐色(マントなし)/顔:ピンク〜赤色の無毛部/臀部:赤〜ピンクの座骨結節/目:琥珀色
身体特徴成獣オスの銀白マントとタテガミ/突き出た口吻/大きな犬歯(オスで5cm超)/短めの尾/臀部にピンクの無毛部
分布アフリカ北東部:エチオピア・エリトリア・ソマリア北部・スーダン東部/アラビア半島南部:サウジアラビア南西部・イエメン/ヒヒ属で唯一アラビア半島にも分布
生息環境半乾燥地・岩石地帯・低木の点在するサバンナ/樹木のほとんどない地形も利用/夜は崖の岩棚でねぐらをとる
食性雑食性/草・種子・根・果実・花・アカシアの豆果(乾季の主食)/昆虫・小型脊椎動物・卵・時に若い有蹄類も/飲み水は必須
繁殖繁殖期:年間を通じて可能/妊娠期間:約170〜180日/通常1頭出産/授乳期間:約6か月/性成熟:メス4〜5年・オス5〜7年
寿命野生:推定20〜25年/飼育下:30〜35年
保全状況IUCN:軽度懸念(LC)/CITES附属書II/個体数は比較的安定・アラビア半島では都市部への進出も
マントヒヒ・ワルシャワ動物園の個体
Leafnode, CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons(ワルシャワ動物園)

古代エジプトの神聖なるヒヒ

知恵の神トートの化身

神殿の壁画に描かれる

古代エジプトでは、マントヒヒは知恵と書記の神トート(Thoth)の化身として神聖視されました。神殿の壁画や彫刻には、両手を上げて太陽を拝むようなポーズをとるヒヒの姿がしばしば描かれています。この姿は本種が朝日を浴びる際に前脚を持ち上げる自然な行動を写し取ったものと考えられ、古代の人々は「神をたたえるサル」として崇拝しました。

ミイラにされて墓に

神聖化された本種は死後もミイラにされ、貴族や王族の墓に副葬品として納められました。現代の考古学調査では、ナイル川流域の遺跡から本種のミイラが数百体単位で見つかっています。ただしエジプトには自生していないため、これらは南方のヌビア地方(現在のスーダン)から生きたまま連れてこられ、飼育された後にミイラにされたものと推定されています。神殿には専用の飼育場もあったとされます。

アヌビス神とも混同されがち

古代エジプトの動物神として知られるアヌビス神は犬・ジャッカルの姿で、本種とは別存在です。しかしトート神が同じく動物姿(マントヒヒ、あるいはトキ)で描かれることから、この2つの神を混同する誤解も見られます。トート神とマントヒヒの結びつきは、知恵・書記・月・数学の象徴として位置付けられていました。

マントヒヒ・Leipzig Zoo顔クローズアップ
André Karwath, CC BY-SA 2.5, via Wikimedia Commons(Leipzig Zoo・洞窟から出るオス)

オスの銀白マント

性成熟で現れる長毛

肩から背中への銀色マント

成獣オスの最大の特徴は、肩から背中にかけて広がる銀白色の長い毛。ライオンのタテガミにも似た豪華なマント状の毛並みで、和名「マントヒヒ」の由来ともなっています。この毛は生まれてすぐには見られず、5〜7年ほどで性成熟に近づくと徐々に伸びて銀色になっていきます。年齢を経るほど毛の量と輝きが増し、群れの中での貫禄を示す姿となります。

メスは茶色くマントなし

一方メスの体は茶褐色〜暗褐色で、マントも持ちません。体格もオスの半分ほどで、姿だけを見ればまったく違うサルに見えることも。この極端な性的二型は、群れの中でオスの存在感を際立たせる働きがあると考えられています。

赤い顔と赤い臀部

顔と臀部の皮膚は、鮮やかなピンクから赤色。血流の状態や個体の年齢・繁殖状態で色の濃さが変わります。メスの繁殖期には、座骨結節が赤く膨らむ「性皮の腫脹」が起こり、繁殖状態を視覚的に告知する信号として機能します。他のヒヒ属と共通する形質ですが、乾燥地帯を暮らす本種では特に色が目立ちます。

マントヒヒ・ケルン動物園の群れ
Till Niermann, CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons(ケルン動物園・群れの姿)

階層的な社会構造

4段階の入れ子構造

OMU→クラン→バンド→トループ

マントヒヒの社会は、霊長類でもとりわけ複雑な入れ子構造で有名です。最小単位は「ワンメールユニット(OMU)」で、1頭の成獣オスと2〜10頭のメス、その子供たちからなる家族群。複数のOMUが集まって「クラン」を、複数のクランで「バンド」(20〜100頭)を、複数のバンドが同じねぐらを共有して「トループ」(200頭以上)を作ります。同じサル属の中でここまで階層化された社会は珍しく、進化人類学の重要な研究対象となっています。

崖のねぐらで数百頭が集合

日中は各OMUがバラバラに散らばって採食しますが、夜になると複数のバンドが同じ崖の岩棚に戻ってきます。数百頭のヒヒが同じ場所で夜を明かす光景は圧巻で、天敵(ヒョウ・ハイエナ)から身を守る集団防衛の仕組みでもあります。翌朝、群れは再び各OMUに分かれて採食に向かうという毎日のリズムです。

オスがメスを守る家族群

メスを追い立てる「ハーダー」

OMU内のオスは、自分のメスたちを他のオスから守るために積極的にメスを追い立てる行動を取ります。メスが群れから離れると、オスが追いかけて咬みつくなどして呼び戻します。「ハーディング(herding)」と呼ばれるこの行動は、他のヒヒ属では見られない本種の特徴的な社会行動です。メスは同じOMUに長期間留まる傾向が強く、オス優位の社会が形成されます。

若いオスの「メス取得」

OMUを持たない若い独身オスは、他のOMUから若いメスを引き抜いて自分の家族を作ろうとします。母親から離れかけた若いメスを狙って優しく世話を焼き、少しずつ絆を作って自分のOMUの一員にしていく戦略的な行動が観察されています。この「時間をかけたメス取得」も、本種の社会の複雑さを物語る要素です。

アラビア半島の唯一のヒヒ

紅海を渡ったヒヒ

ヒヒ属で唯一アラビア半島にも分布

ヒヒ属は基本的にアフリカ大陸のサルですが、マントヒヒだけはアラビア半島南西部(サウジアラビア・イエメン)にも自然分布します。氷期に海面が下がっていた時代、アフリカ大陸から紅海南部を渡って移入したと考えられています。半島の乾燥した山岳地帯に適応し、現在も安定した個体群を維持しています。

都市部で人間と共存

近年、サウジアラビアやイエメンの都市部周辺では、本種が人間の生活圏に入り込む例が増えています。ゴミ捨て場・農場・観光地などで餌をあさる姿がしばしば観察され、地域によっては農作物への被害が問題となっています。他の霊長類が生息地の縮小で衰退するなか、本種は乾燥地帯適応と柔軟な食性を活かして都市化への適応も見せているといえます。

アフリカとアラビアで異なる社会

興味深いことに、アフリカ側のマントヒヒとアラビア側のマントヒヒでは、OMUのサイズや群れ規模が少し異なることが観察されています。餌の分布や環境条件による影響と考えられ、同じ種でも生息環境で社会構造が微調整される柔軟性を示す例といえます。

ヒヒ属と近縁種

ヒヒ属の6種

ヒヒ属(Papio)はアフリカを中心に6種が分布する大型サルのグループです。本種はその中でも独特のマントと階層社会で区別されます。

学名和名/英名分布・特徴
Papio hamadryasマントヒヒ(本種)/Hamadryas Baboonアフリカ北東部・アラビア半島南部・オスの銀白マント
Papio anubisアヌビスヒヒ/Olive Baboonアフリカ中部帯状・最も広く分布
Papio cynocephalusキイロヒヒ/Yellow Baboonアフリカ東部〜南部
Papio ursinusチャクマヒヒ/Chacma Baboonアフリカ南部・最大種
Papio papioギニアヒヒ/Guinea Baboon西アフリカ・赤茶色
Papio kindaeキンダヒヒ/Kinda Baboonザンビア中部・最小種

雑種化するヒヒ属

ヒヒ属の各種は分布域の境界で雑種を作ることが知られており、種として完全に隔離されていない場合もあります。マントヒヒとアヌビスヒヒの分布境界(エチオピアのアワッシュ川流域など)では雑種個体が観察されており、種の壁が緩やかであることを示す例として研究されています。「独立した種」と「亜種」の境界を考える上で、貴重な事例となっています。

日本の動物園

ヒヒの代表として飼育

マントヒヒは日本国内の動物園でも比較的よく見られるヒヒの種類です。多摩動物公園・上野動物園・東山動植物園・京都市動物園・王子動物園などで飼育例が知られ、群れでの展示により階層社会の一端を観察できる形が採用されています。銀白色のマントを羽織ったオスの姿は動物園でも高い視認性を発揮し、来園者にとって「ヒヒといえばこの姿」の代表的な存在となっています。

寿命の長さと繁殖の実績

飼育下では30年以上の長寿を全うする個体も少なくなく、動物園で同じ個体を長く観察できるサルとして親しまれています。繁殖の実績も豊富で、飼育下個体群の維持は安定した状態にあります。IUCNレッドリストでは軽度懸念(LC)とされ、保全上の緊急度は低いものの、CITES附属書IIに掲載されているため国際取引には規制があります。

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